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20歳の司令塔、中田英寿
集中連載「ジョホールバルの真実」(9)
中田英寿が代表デビューを果たしたのは1997年5月21日、W杯アジア最終予選が開幕する、わずか3カ月半前のこと
中田英寿が代表デビューを果たしたのは1997年5月21日、W杯アジア最終予選が開幕する、わずか3カ月半前のこと【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

 中田英寿が日本代表デビューを果たしたのは1997年5月21日、国立競技場で行われた韓国との親善試合だった。アジア最終予選が開幕する、わずか3カ月半前のことだ。

 名波浩と並んで中盤の2列目に入った中田は、韓国選手の激しいコンタクトをものともせず、力強いドリブルから速いスルーパスを連発した。

 最終予選を目前に控える日本代表にとって、不調に陥った前園真聖に代わる攻撃の核が誕生した瞬間だった。

 この年の春、日本代表を率いる加茂周は、中田の所属するベルマーレ平塚(当時)の試合会場に2度、足を運んでいる。

 このとき、メディアは中田のチームメートで、日本国籍の取得を目指すワグネル・ロペス、のちの呂比須ワグナーをチェックしたのではないか、と推測した。

 だが、本命はロペスではなかった。むろん、ロペスもターゲットだったに違いないが、加茂がプレーを確認したかったのは、当時20歳ながら平塚の司令塔を務めていた中田だったのだ。

 のちに加茂は「中田には昨年の9月から注目していた。ロペス、ロペスとみんなが騒いでくれて、助かった」と報道陣に話している。

 加茂が中田を高く評価していたことは、起用法を見れば分かる。初めて招集した5月21日の韓国戦でいきなりスタメンデビューさせたばかりか、そこから11試合続けてスタメンで起用するのだ。


 だが、12試合目にして初めて、中田はキックオフをベンチで迎えた。

 10月11日、タシケントで行われたウズベキスタン戦。この試合から加茂に代わって指揮を執る岡田武史が、中田をスタメンから外したのだ。

「ヒデは淡々としたところがあるから、戦っていないように勘違いされていたのかもしれません。フィジカルコーチのフラビオにもよく『ヒデ、戦え!』と注意されていましたからね」

 そう語るのは、アトランタ五輪最終予選から中田と付き合いのある並木磨去光である。岡田は最初のミーティングで「戦わない選手は使わない」と、戦う姿勢を選手に強く訴えていた。それゆえ、淡々とプレーする姿に、闘志がないと判断されたのではないか、という推測である。

 一方、中田に代わって3−4−1−2のトップ下を任されたのは、森島寛晃である。司令塔タイプの中田ではなく、シャドーストライカータイプの森島の起用には、得点力を高めたい、という戦術的な狙いも見てとれた。

「ヒデは中心にするか、外すか、そのどちらかだ、と岡田さんは思っていたはずです」

 そう証言するのは、小野剛である。

「スタメンから外されて、ヒデがふてくされるようなら、岡田さんはヒデを日本に帰すつもりでした。でも、ヒデはBチームでもまったく手を抜かなかった。それどころか、『絶対にワールドカップに行くんだ』という強いオーラを出してトレーニングに取り組んでいた。そして実際に途中出場してからも……」


 ウズベキスタンに1点のリードを許して迎えた後半8分、呂比須とともにピッチに登場した中田は、必死の形相でドリブル突破を繰り返した。敵をなぎ倒すように突破を図る中田を見て、前年まで平塚でチームメートだった名良橋晃は、頼もしく感じると同時に、安心したという。

「スタメンから外されて、ヒデはどうなるかな、と思っていたんですけれど、やっぱりヒデはヒデだった。気落ちした素振りなど見せず、それ以上にスケールの大きさを感じましたね。『こんなヒデ、見たことない』というくらいハードワークもしていた」

 山口素弘も中田の姿勢を高く評価する。

「メンバーから外されたとき、だいたい3つにタイプが分かれるんです。『腐るやつ』『淡々とやるやつ』『何くそ!と思うやつ』に。ヒデは『何くそ!』というタイプだったんですよ、意外とね」

 北澤豪は、中田と決して長い時間を過ごしていたわけではなかったが、それでも9学年下の若者が違う感覚の持ち主だということを感じていた。

「あいつは、45分間走のとき、俺と組むんですよ。走れない選手とは組まない。それで、俺は同じペースで走るんだけど、ヒデは『キーちゃん、それじゃダメですよ』と言うわけ。『試合と同じように走らないと』と、5分ぐらいガーッと走って、3分ぐらいゆっくり走って、というのを繰り返す。パス練習をしていても、『キーちゃん、5回もミスりすぎ』と言ってくる。生意気なんだけど、すごく面白かった」

ウズベキスタン戦に臨んだ日本は終了間際、辛うじて引き分けに持ち込んだ
ウズベキスタン戦に臨んだ日本は終了間際、辛うじて引き分けに持ち込んだ【写真は共同】

 中田の鬼気迫るプレーをもってしても、日本はウズベキスタンのゴールをなかなかこじ開けられなかった。だが終了間際、井原正巳のロングキックを呂比須が頭で落とすと、飛び込んできた三浦知良に惑わされた相手GKがボールを取り損ない、辛うじて引き分けに持ち込んだ。

 山口はその直後に中田が発した言葉を、今でもはっきりと覚えている。

「ヒデは、『これ(引き分け)で1位抜けは厳しいね』って言ったんですよ。この状況でも1位抜けを狙っていた。そういうメンタリティーも含めて、ちょっと違ったよね」

 再び、小野が証言する。

「岡田さんはこのウズベキスタン戦で、ヒデを中心に据える覚悟を決めたと思います」

 こうして中央アジア遠征から帰国すると、中田を最大限に生かすため、システムを4−4−2に変更し、攻撃的なスタイルを構築していくのだった。


<第10回に続く>

集中連載「ジョホールバルの真実」

第1回 戦士たちの休息、参謀の長い一日

第2回 チームがひとつになったアルマトイの夜

第3回 クアラルンプールでの戦闘準備

第4回 ドーハ組、北澤豪がもたらしたもの

第5回 焦りが見え隠れしたイランの挑発行為

第6回 カズの不調と城彰二の複雑な想い

第7回 イランの奇策と岡田武史の判断

第8回 スカウティング通りのゴンゴール

第9回 20歳の司令塔、中田英寿

第10回 ドーハの教訓が生きたハーフタイム(11月5日掲載)

第11回 アジジのスピード、ダエイのヘッド(11月6日掲載)

第12回 最終ラインへ、山口素弘の決断(11月7日掲載)

第13回 誰もが驚いた2トップの同時交代(11月8日掲載)

第14回 絶体絶命のピンチを救ったインターセプト(11月9日掲載)

第15回 起死回生の同点ヘッド(11月10日掲載)

第16回 母を亡くした呂比須ワグナーの覚悟(11月11日掲載)

第17回 最後のカード、岡野雅行の投入(11月12日掲載)

第18回 キックオフから118分、歴史が動いた(11月13日掲載)

第19回 ジョホールバルの歓喜、それぞれの想い(11月14日掲載)

第20回 20年の時を超え、次世代へ(11月15日掲載)

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飯尾篤史
飯尾篤史
東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書として『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)、城福浩『Jリーグサッカー監督 プロフェッショナルの思考法』(カンゼン)などがある。

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