東大出身のプロ野球OBが語る宮台康平 最強左腕の呼び声も「納得」

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3年時に東大2人目の日本代表に選出

左腕から150キロ前後のストレートを記録する東京大史上最強左腕の呼び声高い宮台。リーグ戦通算6勝を記録した 【写真は共同】

 今秋、15年ぶりの勝ち点奪取でメディアをにぎわせた東京大野球部。その中心となったのは、1919年同校野球部創部以来、“最強左腕”と称される宮台康平投手だった。

 湘南高では3年春の神奈川大会でベスト8進出。強豪ひしめく神奈川でも好左腕として評判を呼んだ。その後、現役で東京大法学部に合格。野球部に入部すると、1年秋にリーグ戦デビュー。2年秋に法政大戦で先発して6回2失点で初勝利を挙げた。3年春には6試合に先発して2勝、防御率2.05の好成績を残して、同校史上2人目となる日米大学野球の日本代表メンバーに選出された。日米大学野球では第3戦に先発し、自己最速の150キロを計時するなど3回途中1失点とまずまずのピッチング。3年秋には老舗のベースボールマガジン社が発行する大学野球2016秋季リーグ展望号で表紙を飾るなど、アマチュア野球界で話題の人となった。

 ただ、好事魔多し…。3年秋のリーグ戦では左肩痛を発症し、登板もわずか1イニングで終わった。その後、左肩の負担を減らすために、フォーム改造に着手。バッターから見づらいテイクバックの小さいフォームからテイクバックのややゆったりしたフォームに変更した。4年春のリーグ戦では制球が安定しなかったが、フォームを自分のモノにしつつある今秋は慶大戦で158球を投げて2失点完投。ストレートも140キロ台中盤を記録し、制球もまずまず安定したところを披露した。その後、法政大戦でも2失点完投勝利を記録しシーズン2勝目を挙げた。

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中日で長年プロの世界を経験した井手氏

 現在の日本プロ球界でも希少価値である左の速球派として注目される宮台。昨年12月にプロ表明、今年の春先には就職活動をせずプロ1本に進路を絞ったことが報道された。そして、10月5日にプロ志望届を提出。もし指名されれば東京大学史上6人目のプロ野球選手ということになる。この進路選択を「心意気は見事ですね」と語るのは、同校史上2人目のプロ野球選手となった井手峻氏だ。

 井手氏は新宿高から1浪を経て東京大に入学。野球部に入部すると、1年秋から投手に転向し、通算4勝を挙げた。66年プロ野球ドラフト会議2次で3位指名を受けて中日に入団。1年目からリリーフでプロ初勝利を挙げると、3年目から故障もあり野手転向。73年には同校OBとしては唯一となる本塁打を放っている。76年まで通算10年間の現役生活を送り、その後は2軍監督や1軍でコーチを経験し、フロントとして球団取締役を務めるなど2015年まで中日に在籍した。

 指名当時を「プロの誘いはまったくなく、社会人でも続ける気はありませんでした。6月には就職先も決めていました」と振り返る。1学年下に明治大・高田繁(元巨人ほか)、2学年下には法政大に田淵幸一(元阪神ほか)、山本浩二(元広島)ら、その後のプロ野球界を席巻するそうそうたる面子相手に投げていたが、「そんなに自分の力を信じられなかった」とプロはもちろん、社会人野球からの誘いも断るほどだった。東京大でも2学年上に同校初のプロ野球選手となった新治伸治投手(元大洋)が在籍していたものの、プロが身近に感じることはなく、「新治さんをただただすごいなぁと思っていました」と他人事に感じていたそうだ。

 しかし、指名後は即決でプロ入りを決めたというが、なぜ突然の指名でプロ入りを決めたのか。「自分の力を見極めるとかそういうことじゃなくて、せっかく指名されたし、ただプロの世界でやってみたいな、と」と、その決断を笑いながら語ってくれた。

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