「夢スタ」のオープンと山田卓也の復帰 FC今治の今後を占う2つのトピックス

宇都宮徹壱

「強化の総仕上げ」としての山田卓也の復帰

チームに復帰したばかりの山田卓也。現在リハビリ中のため練習は別メニューだが表情は明るい 【宇都宮徹壱】

 ここで、ピッチ内の話題にも触れておきたい。今季のJFLセカンドステージは、開幕から3連勝を飾ったこともあり、今治は第6節を終えて4位につけている(年間通算順位は6位)。クラブはこの間、京都サンガF.C.から長身DFの牟田雄祐を、そしてブラジル人選手のブーバの新加入を発表(いずれも期限付き)。そして、強化の総仕上げと目されるのが、元日本代表「ヤマタク」こと山田卓也の復帰である。私がクラブ事務所を訪れた、まさにその日(8月23日)にチームに合流。午後の練習を前に、久々に話を聞くことができた。

「このあと練習ですが、基本的に別メニューですね。僕的にはやれそうなんですけれど、ドクターからは『10月までは』ということで、夢スタのこけら落としはちょっと難しいと思います。金井(龍生)も宮本(和輝)もけがだし、僕もいつ出られるか分からないというところで、そこは申し訳ないのですが、できる限りのサポートはしていきたいなと」

 故障箇所は左ひざだった。今治との契約が終わった16年、山田はJFLの奈良クラブに移籍するも「フル出場は無理」ということで、だましだましプレーをしていたという。「それでも、どうしても90分プレーしなければならない試合もあって、試合後はひざがパンパンに腫れていましたね」とは当人の弁。その奈良との契約も1シーズンで終わり、その年のオフに延ばし延ばしにしていたひざの手術を決断する。

「半月板だと思って開けてみたら、そこはまったく問題なくて、実は骨折して軟骨が削れてしまっていると。半月板よりも面倒な手術で、しかも前十字(じん帯)と変わらないくらいリハビリの時間が必要だって言われたんですね。結局、大阪の病院で手術して、リハビリも大阪とJISS(国立スポーツ科学センター)の両方でやっていました」

 リハビリと並行して山田は、指導者ライセンスA級を受講したり、SHC(スポーツヒューマンキャピタル)でプロスポーツの経営の基礎を学んだりと、これまでとは異なる充実した日々を過ごしていた。とはいえ、現役引退を考えたことはまったくなかったという。そんなある日、山田は奈良で岡田オーナーとの再会を果たしている。

「今年の4月(29日)、奈良のホームで今治と試合があったんですね。そこで岡田さんと一緒に試合を見ていて、今治についてもわりと言いたい放題言わせてもらいました。そのあとですね。岡田さんに『どこか(次のチームを)決める前に、一度連絡をくれ。一応ツバつけておくけれど』みたいなことを言われましたね」

岡田オーナーは「ヤマタク」に何を求めたのか?

2年前の地域決勝での山田。翌16年は奈良に移籍したが、今治のことを気にかけていたという 【宇都宮徹壱】

 山田は四国リーグ時代の15年、同じく元日本代表の市川大祐とともにシーズン半ばで今治に電撃加入した。だが、JFL昇格を決める地域決勝(現在は全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)では1次ラウンドで敗退。山田と市川は、わずか半年でチームを離れることとなった。翌16年、市川は移籍先のヴァンラーレ八戸で現役を引退したが、岡田オーナーはその後の山田の動向を気にしていたようだ。いやむしろ、「状況が許すならば今治に残ってほしかった」という思いがあったのかもしれない。それは、山田本人のコメントからも察することができる。

「実は去年の地域決勝の時、岡田さんに『チームの宿舎にステイして、魂を注入してくれ』と言われていたんです。僕は奈良との契約中でもあったので、とりあえず千葉の(決勝ラウンド)2試合は見に行ったし、直前の練習にもお邪魔しました。ちょうど岡田さんが見ている時で、対人をかなり厳しくやっていましたね。『何であともう一歩、寄せないんだ!』ということを強く求めていました。その後の決勝ラウンドでは、本来のポゼッションに加えて球際でもしっかり勝てていたので、『戦う集団になったな』と感じました」

 昨年のJFL昇格における山田の「関与」については、地域決勝を取材していた当時はまったく気付かなかっただけに興味深い。もっとも、彼が去ったあとの今治で「ヤマタク待望論」があったことは知っている。今治のファンから「ヤマタクさん、戻ってきませんかねえ」という話をよく耳にしていたからだ。なぜ、これほどまでにヤマタクは愛されるのか? その理由は、当人のこのコメントを聞けば納得できるはずだ。

「僕はずっとプロとして1年契約しかしてこなかったので、そのホームタウンをちゃんと楽しみたいと思っているんです。その街のことも知りたいし、チームを応援してもらうためには、給料を全部その街に落とすくらいの気持ちで、地元の人たちと触れ合うべきだと思っているんですよね。それは今治でも同じことで、僕は(前回は)半年しかいなかったけれど、今治という街には多くの痕跡を残したと思っています」

 本人も明かしているように、山田が今治のユニホームを着てピッチに戻ってくるには、もう少し時間が必要だろう。しかし岡田オーナーは、そうした事情を承知の上でオファーをしている。おそらく山田に対して、ピッチ上以外での影響力を期待しているのは間違いない。その点について岡田オーナーは、このように語っている。

「僕はよく選手に『お前たちにはプレーを選択する自由があるんだ。主体性があるんだ』という話をするんだけれど、それは監督とかチーム状態とかを理由にするな、ということなんですね。『お前がどうするかなんだ』ということなんですよ。多くの日本のプレーヤーが、全体の輪の中で反射的に生きている中、山田は自分の意見を主張しながらプレーで表現できる。そういった主体性というところが、僕が彼に一番期待しているところです」

 夢スタのこけら落とし、そして山田卓也の復帰。9月以降の今治の戦いは、興味深いトピックスがめじろ押しである。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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