「夢スタ」のオープンと山田卓也の復帰 FC今治の今後を占う2つのトピックス
「強化の総仕上げ」としての山田卓也の復帰
チームに復帰したばかりの山田卓也。現在リハビリ中のため練習は別メニューだが表情は明るい 【宇都宮徹壱】
「このあと練習ですが、基本的に別メニューですね。僕的にはやれそうなんですけれど、ドクターからは『10月までは』ということで、夢スタのこけら落としはちょっと難しいと思います。金井(龍生)も宮本(和輝)もけがだし、僕もいつ出られるか分からないというところで、そこは申し訳ないのですが、できる限りのサポートはしていきたいなと」
故障箇所は左ひざだった。今治との契約が終わった16年、山田はJFLの奈良クラブに移籍するも「フル出場は無理」ということで、だましだましプレーをしていたという。「それでも、どうしても90分プレーしなければならない試合もあって、試合後はひざがパンパンに腫れていましたね」とは当人の弁。その奈良との契約も1シーズンで終わり、その年のオフに延ばし延ばしにしていたひざの手術を決断する。
「半月板だと思って開けてみたら、そこはまったく問題なくて、実は骨折して軟骨が削れてしまっていると。半月板よりも面倒な手術で、しかも前十字(じん帯)と変わらないくらいリハビリの時間が必要だって言われたんですね。結局、大阪の病院で手術して、リハビリも大阪とJISS(国立スポーツ科学センター)の両方でやっていました」
リハビリと並行して山田は、指導者ライセンスA級を受講したり、SHC(スポーツヒューマンキャピタル)でプロスポーツの経営の基礎を学んだりと、これまでとは異なる充実した日々を過ごしていた。とはいえ、現役引退を考えたことはまったくなかったという。そんなある日、山田は奈良で岡田オーナーとの再会を果たしている。
「今年の4月(29日)、奈良のホームで今治と試合があったんですね。そこで岡田さんと一緒に試合を見ていて、今治についてもわりと言いたい放題言わせてもらいました。そのあとですね。岡田さんに『どこか(次のチームを)決める前に、一度連絡をくれ。一応ツバつけておくけれど』みたいなことを言われましたね」
岡田オーナーは「ヤマタク」に何を求めたのか?
2年前の地域決勝での山田。翌16年は奈良に移籍したが、今治のことを気にかけていたという 【宇都宮徹壱】
「実は去年の地域決勝の時、岡田さんに『チームの宿舎にステイして、魂を注入してくれ』と言われていたんです。僕は奈良との契約中でもあったので、とりあえず千葉の(決勝ラウンド)2試合は見に行ったし、直前の練習にもお邪魔しました。ちょうど岡田さんが見ている時で、対人をかなり厳しくやっていましたね。『何であともう一歩、寄せないんだ!』ということを強く求めていました。その後の決勝ラウンドでは、本来のポゼッションに加えて球際でもしっかり勝てていたので、『戦う集団になったな』と感じました」
昨年のJFL昇格における山田の「関与」については、地域決勝を取材していた当時はまったく気付かなかっただけに興味深い。もっとも、彼が去ったあとの今治で「ヤマタク待望論」があったことは知っている。今治のファンから「ヤマタクさん、戻ってきませんかねえ」という話をよく耳にしていたからだ。なぜ、これほどまでにヤマタクは愛されるのか? その理由は、当人のこのコメントを聞けば納得できるはずだ。
「僕はずっとプロとして1年契約しかしてこなかったので、そのホームタウンをちゃんと楽しみたいと思っているんです。その街のことも知りたいし、チームを応援してもらうためには、給料を全部その街に落とすくらいの気持ちで、地元の人たちと触れ合うべきだと思っているんですよね。それは今治でも同じことで、僕は(前回は)半年しかいなかったけれど、今治という街には多くの痕跡を残したと思っています」
本人も明かしているように、山田が今治のユニホームを着てピッチに戻ってくるには、もう少し時間が必要だろう。しかし岡田オーナーは、そうした事情を承知の上でオファーをしている。おそらく山田に対して、ピッチ上以外での影響力を期待しているのは間違いない。その点について岡田オーナーは、このように語っている。
「僕はよく選手に『お前たちにはプレーを選択する自由があるんだ。主体性があるんだ』という話をするんだけれど、それは監督とかチーム状態とかを理由にするな、ということなんですね。『お前がどうするかなんだ』ということなんですよ。多くの日本のプレーヤーが、全体の輪の中で反射的に生きている中、山田は自分の意見を主張しながらプレーで表現できる。そういった主体性というところが、僕が彼に一番期待しているところです」
夢スタのこけら落とし、そして山田卓也の復帰。9月以降の今治の戦いは、興味深いトピックスがめじろ押しである。