山崎晃大朗が悟ったプロで生きる道 〜燕軍戦記2017〜
巨人戦で初のお立ち台
2年目の山崎は逆方向への強い打球で1軍定着を目指す 【写真は共同】
初めてお立ち台に上がったヒーローの初々しい言葉に、大入りの観衆で埋まった神宮のスタンドが沸いた。声の主は東京ヤクルトの2年目、24歳の山崎晃大朗(やまさき・こうたろう)。彼はこの日、8月17日の巨人戦で2回にセンター前タイムリーで貴重な追加点を挙げ、先制3ランの荒木貴裕とともにヒーローインタビューに呼ばれたのだ。
その後の囲み会見では「(プロに入って)やりたいことの1つがお立ち台でのヒーローインタビューだったので、できて良かったです」とあらためて笑顔を見せた山崎。だが、プロ入りからここまでの道のりは、必ずしも順風満帆といえるものではなかった。
真中満監督と同じ日大から、ドラフト5位で2016年にヤクルトへ入団。真中監督が現役時代に着けた背番号31を与えられ、小柄な体格の左打ちの外野手という共通点もあって、「真中2世」とも呼ばれた。1年目はキャンプで1軍メンバーに抜てきされたが、オープン戦では結果を残せず開幕は2軍スタート。夏場に1軍昇格を果たし、8月5日の阪神戦(神宮)でプロ初安打&初盗塁を記録するも、ほとんど戦力になることはできなかった。
それでも持ち前の俊足でファームでは38盗塁を決め、イースタン・リーグ盗塁王を獲得。シーズン途中でフォームの改造に取り組み、オフのみやざきフェニックス・リーグ、アジアウインターベースボールリーグを通じて、打撃面でも手ごたえをつかんだ。
右方向に引っ張るのはご法度
「逆方向に低く強いゴロをっていうのを1年目からずっと言われてたんですけど、それがやっとできるようになってきたというか……。練習の時から引っ張る打球は打ってなくて、コーチからも『(引っ張るのは)我慢しろ』って、ずっと言われてました」
左打者ながら、2軍では打球を右方向に引っ張るのはご法度。練習でも試合でも自由には打たせてもらえなかったという山崎の話には、どこか聞き覚えがあった。そう、あれは5年近く前のこと。前回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催される前にも、同じような話を聞いたことがあったのを思い出した。
「練習でもウチは普通のフリーバッティングはやらないんですよ。右バッターなら右打ちだったり、とにかくゴロを打つ練習ばかりさせられてました。ウチは点が取れないですからね。僕はバットに当てるのは得意なんで、監督には『ランナーが三塁にいたら、なんとか転がしてでも点を取りに行ってくれって言われてます」
そう話していたのは当時はまだ現役選手で、WBCブラジル代表メンバーに名を連ねていた現ヤクルト2軍打撃コーチの松元ユウイチである。米国の野球殿堂入りもしている元シンシナティ・レッズの名遊撃手、バリー・ラーキン監督に率いられたブラジル代表は、初出場となるWBCで徹底したスモール・ベースボールを展開。結果的に1次ラウンド全敗で姿を消したものの、初戦では侍ジャパンを相手に終盤までリードを奪うなど健闘をみせた。
「(ラーキン)監督も最初の練習を見て『こりゃダメだ』って思ったんじゃないですか。だからバントのサインも多かったです、ウチは」
松元はそう苦笑していたが、圧倒的な戦力があるわけではないブラジル代表にとって、スモール・ベースボールこそがWBCで「生き残る術」だったのである。メジャーリーグの殿堂入り選手から伝えられたその「生き残る術」を、昨年から指導者になった松元はルーキーの山崎にも伝授しようとした。身長173センチ、体重68キロという小柄な体格で、スピードのある選手がプロの世界で生きていくには、これしかない──。しかし、事はそう簡単には運ばなかった。山崎が言う。
「自分自身でも長打を捨てたくなかったというか、自分の中にいらない欲があって…。松元コーチには去年から『お前は足があるんだから、それを生かせ。とにかく塁に出ろ』ってずっと言われてたんですよ。でも、(打)率が残り始めたらちょっと色気が出て、強く打ちにいっちゃってっていうのがあって……」