ジダンの下でさらなる伝説を作ったレアル 偶然ではない史上初のCL連覇

レアル・マドリーはユベントスを4−1で下し、史上初のCL連覇を達成した 【写真:ロイター/アフロ】

 国内で2冠を獲得し、堅固な守備組織とバロンドール候補のGKジャンルイジ・ブッフォンを擁するユベントスをしても、今のレアル・マドリーには敵わなかった。

 前半は健闘したが、彼らを相手に90分間耐え抜くことは不可能に近い。ロス・ブランコス(レアル・マドリーの愛称)はリーガ・エスパニョーラのほぼ全てのライバルに対して繰り返してきたように、チャンピオンズリーグ(CL)決勝の大舞台でも、4−1の圧勝劇を実現してみせた。

 1992−93シーズンに現行のCLが始まって以降、初めて連覇を達成したレアル・マドリーは、全てのポジションに有り余るほどのタレントを擁している。拡大し続ける彼らの支配力は、もはや誰の目にも疑いの余地がない。

前半は拮抗した戦いを見せたユベントスだが……

C・ロナウドのゴールで3−1とリードを広げたレアル・マドリー 【写真:ロイター/アフロ】

 6月3日、カーディフで行われたCL決勝において、前半のユベントスはレアル・マドリーに有効な戦い方で対抗した。パスの受け手を先んじてマークし、敵陣でプレスをかけ、フィジカルの強さを駆使したダイナミックなプレーを構築しながら、進入可能なゾーンから攻撃を試みていた。だが、レアル・マドリーは時間の経過とともに試合のリズムに慣れていき、恐るべき決定力を誇るクリスティアーノ・ロナウドがほとんど初めて触れたボールをゴールに変え、リードを得てしまった。

 ユベントスはヨーロッパの大半のライバルを上回る力があり、だからこそ決勝にたどり着いたチームである。彼らは失点後も恐れることなく攻めに出て、マリオ・マンジュキッチがオーバーヘッドでスーパーゴールを決めるという予期せぬ形で同点ゴールを奪った。だが、レアル・マドリーは与えられたわずかなスペースを生かし、その後に何が起こるかを予告していた。ユベントスほど守備組織が整ったチームが、2人のFWを2人のDFだけで止めなければならない状況が生じることなど珍しいことだ。

 カゼミーロの勝ち越しゴールが後半に生まれ、立て続けにC・ロナウドのゴールで3−1とリードを広げた時点で、ファイナルの勝者が誰なのか、残り時間を費やすために1チームのみがプレーすることになると、スタジアム中が感じ取った。

ベイル(右)が先発できず、途中出場するポジションすら見つからないほど、レアル・マドリーの強さは際立っていた 【写真:ロイター/アフロ】

 この試合に出場する唯一のウェールズ人であり、ファンから特別扱いされていたギャレス・ベイルでさえ先発できず、途中出場するポジションすら見つからないほどレアル・マドリーの強さは際立っていた。スペースが生じるにつれてイスコが存在感を増し、試合の主役と呼べるほどの活躍を見せていたことで、ジネディーヌ・ジダンはベイルを投入するにあたって、カリム・ベンゼマをベンチに下げることを選んだ。

 もう一方のベンチではマッシミリアーノ・アッレグリがアンドレア・バルザーリを下げてセンターバックを3枚から2枚に減らし、フアン・クアドラードを中盤に投入。終盤にはラフプレーにいらついて気持ちを切らせ、ピッチ上から消えつつあったパウロ・ディバラをマリオ・レミナに代えた。だがアッレグリが講じた手はいずれもほとんど意味をなさず、前線ではゴンサロ・イグアイン、マンジュキッチと他の選手たちとのつながりが完全に途絶えていた。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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