「120分の死闘」で見えた成長と“限界” 若き日本代表の戦いは3年後の大舞台へ

川端暁彦

体力的な限界と「オン・ザ・ボールの精度」

延長後半3分に連続してセットプレーを与える流れから失点。これが決勝点となり、日本はベスト8進出を逃した 【写真:高須力】

 内山監督はMF遠藤渓太(横浜F・マリノス)、そして久保建英(FC東京U−18)を相次いで投入し、「後半勝負」のイメージ通りにカードを切った。だが、想定と違ったのは終盤に落ちてくるというスカウティングがされていたベネズエラの守備の強度があまり落ちず、逆に日本の足が重くなっていったこと。指揮官は「言い訳にしてしまうのは申し訳ない」と言うものの、中2日での4連戦という体力的なダメージはシリアスだった。

 守備の時間が長くなる流れの中で、186センチの大型MF板倉滉(川崎)を投入して防空能力を補いながら抵抗した日本だったが、延長後半3分に連続したセットプレーを与える流れから、ついに決壊。警戒していた相手の主将、MFヤンヘル・エレーラに冨安が競り負け、失点を喫してしまった。これが決勝点となり、若き日本代表の挑戦は16強で幕を閉じることとなった。

 満身創痍(そうい)の日本がベネズエラとの戦いを通じて見せた奮闘は決して悲観するようなものではない。個々の成長をハッキリと感じることのできた120分でもあったし、何人かの選手は4試合を戦いながら相手のレベルにアジャストするようにプレーを修正する力も示した。ただ、全体としてはやはり限界も見え隠れした。

 1つは体力的な限界である。ただ、これは余力を残しながらグループステージを勝ち抜けるだけの地力がなかったことの裏返しだ。中3日のベネズエラと中2日の日本という日程面の差を指摘するのは容易だが、これはそもそも日本が3位通過になったことによって負ったハンディキャップだ。これを敗因として挙げるなら、そもそもグループの3位になってしまったことの方に原因を求める必要がある。ただ、グループステージの戦いぶりを思えば、1勝1分け1敗で、ウルグアイとイタリアに次ぐ3位という結果は順当であり、受け入れるほかない。

 もう1つは内山監督も敗因として挙げた「オン・ザ・ボールの精度」である。ここで言う精度は単なるテクニックというだけではなく、「適切な判断を伴った技術」(内山監督)のこと。ウルグアイ戦後に岩崎らが「パススピードがJリーグとはまるで違う」と驚嘆していたのが印象的だったが、当然ながらそれに対応していく守備の速度もあるのが、このステージで当たる相手だ。求められる判断の質と速度がワンランク上がる中で、技術的精度を上げるのは容易なことではないが、それをできずして勝機がないのも事実である。

日本サッカー界の現時点での弱みとは?

真剣勝負の中で受けるプレッシャーと、そこで味わう肉体的な強度と技術的な精度の違いは、この場に出てみなければ体験できない 【写真:高須力】

 内山監督は「肝心のチャンスのところで(ミスが)出てしまった。一番厳しいプレッシャーの中で、どれだけできるかはずっと課題」とした上で、同時に「でもここに来ないと分からない」とも言った。国際大会の真剣勝負の中で受けるプレッシャーと、そこで味わう肉体的な強度と技術的な精度の違いは、この場に出てみないと体感できないということ。それは選手たちも感じたようで、口々に自分たちの財産となる経験がこの場にあったことを強調していた。

 ただ、逆に言えば、そこに日本サッカー界の現時点での弱みを見ることもできる。彼らが育成年代の日常から受けてきたプレッシャーや、求められる肉体的な強度や技術的な精度がこの水準に達していないということであるからだ。そうなれば自然と、戦術的な練度の高さも求められない。「この場に出たら分かる」ということを裏返すと「この場に出ない限りは認識できない課題を抱えてしまう」ということ。世界大会で負けてから気付くという流れでは、おのずと限界が来てしまう。日本国内の日常の試合の強度を上げていく中で、求められる精度のレベルを変えていく必要がある。

 同時にリオデジャネイロ五輪に出場して初めてそのことを痛感した前世代と、U−20という段階で痛感できた今回の世代とでは、おのずと取り組み方が変わってくるという期待感もある。試合後の選手たちが強烈に出していた悔恨の念は、きっと成長の糧になるはずだ。10年前のU−20日本代表からは、21人中11人がA代表経験を持つ選手へと成長を遂げた。今回のチームからも同様に、あるいはそれ以上に成長していく選手が出ることを期待したい。主軸選手たちはもちろんのこと、10年前のチームでは森重真人や太田宏介のように控えだった選手たちも、その後大きく成長している。同様の例は今回もあるだろうし、吉田麻也がそうだったように、選外となっている選手の中から、急台頭してくる選手もいると確信している。

 大会に至るまでのメンバー入り競争に伴う刺激と、大会での日々が与えてくれる刺激。世界大会という“非日常”を通じて成長していく選手たちを見ながら、あらためて出場を逃してきた「空白の10年」の重さを痛感させられもした。この大会に関しては意地でも継続的な出場権を確保し、次代につなぐ糧を得ていく必要があるだろう。U−20日本代表の戦いはひとまず終幕となったが、日本サッカー界として世界の高みを目指す戦いは、まだまだ続く。もちろん、世代としての戦いもこれは終わりではない。次は2020年の東京五輪。3年後の大舞台が、彼らの成長を待っている。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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