挫折と苦悩、試練を乗り越えた吉田麻也 在籍5年目で到達したプレミア100試合
約1年半前に見た忘れられない後ろ姿
吉田麻也がハル戦でプレミアリーグ出場100試合を達成した 【写真:アフロ】
2015年9月のリーグ戦第6節サウサンプトンvs.マンチェスター・ユナイテッドで、吉田麻也は本職のセンターバック(CB)ではなく、不慣れな右サイドバック(SB)として先発していた。今から約1年半前、サウサンプトン在籍4季目のことだ。
右SBのレギュラーを務めていたナサニエル・クラインがリバプールに移籍し、手薄になった同ポジションを吉田がカバーするようになっていた。当時の監督であるロナルド・クーマンは、「マヤ、君はSBも務めなければならない」と半ば命令に近い形で指示を出し、「CBの3番手」だった吉田も「出場機会が増えるなら」と、前向きに捉えて監督の要求に応えていた。
しかし、付け焼き刃が通じるほどプレミアリーグは甘くない。1−1で迎えた後半、右サイドでボールを受けた吉田はGKへバックパスを出す。しかしパスが弱く、フランス代表FWのアントニー・マルシャルに奪われゴールを許した。失点後、天を仰ぐ吉田。このゴールで勢いを失ったサウサンプトンは、痛恨の逆転負けを喫した(2−3)。
試合後、吉田は険しい表情で取材エリアに姿を見せた。プレミアの場合、選手が取材に応じる義務はなく、ミックスゾーンで話をするか否かは、あくまでも選手やクラブの判断になる。しかし日本代表DFは、チームが大敗しようと、自分がミスを犯そうと、試合に出ていなくても、必ず記者の取材に応じる。この試合でも記者の前で語り始めた。
「ミスもありましたし、残念です。失った勝ち点3を、自分のミスで失った勝ち点3を、残りのシーズンで取り返せるように頑張ります」
そう言って、静かに取材エリアを離れていった。
冒頭で記した「忘れられない1コマ」とは、短いインタビューのあとに背中を丸め、下を向きながら歩いていく吉田の後ろ姿だった。自らのミスで敗れた悔しさ、日本人DFとしてプレミアに挑戦することの難しさ、そして、うまくいかないもどかしさ──。吉田の背中から、複雑に絡んだ感情が伝わってきたのである。
長く続いた「控え扱い」
欧米人に比べると体格で劣り、接触プレーに弱いアジア人は、当たりの激しいプレミアへの適応が難しいとされる。ゴール前の最終局面で体を張らなければならないCBとGKは、さらに難易度が増す。加えて、攻守の切り替えや試合展開の速さも目が回ってしまうほどで、すべての新外国人選手にとって、プレミアは「鬼門」とさえ言われる。
吉田にとっても、難しさは例外ではなかった。プレミアは高い壁となって吉田の前に立ちはだかり、「控え扱い」から脱却できずにいた。
そんな吉田が、4月29日の第35節のハル・シティ戦でプレミアリーグ出場100試合目を記録した。今シーズン後半からレギュラーに定着し、出場数を着実に伸ばしての記録達成である。そして、過去にイングランドに挑戦した稲本潤一(66試合)や香川真司(38試合)、中田英寿(21試合)でも届かなかった「偉業」を成し遂げたのだ。
だが振り返ってみると、ここまでの吉田の挑戦は、挫折と苦悩、我慢の連続であった。その証拠に、100試合を達成した今季は在籍5季目。レスター在籍2季目の岡崎慎司がすでに63試合に出場しているのに比べ、100試合までの道のりは決して平坦ではなく、時間もかかった。
我慢するしかなかった13−14シーズン
サウサンプトン加入後、吉田(左)は「控え扱い」が長く続いた(写真は2013年) 【写真:アフロ】
名古屋グランパス、オランダのVVVフェンロでレギュラーとして活躍していた日本代表DFにとって、体がフィットしているにもかかわらず試合に出られないのは初めての経験だった。当時の吉田も「(控え扱いは)非常に難しいですよ……。難しいですね。初めての経験なので、これも勉強だと思ってやるしかない。でも半年後、(移籍などで)チームの状況がどうなっているかは誰にも分からない。とにかく、目の前のことを一生懸命やるしかない。チャンスが来るまで我慢しないといけない。ただ、その我慢が一番難しい」と心情を吐露していた。
結局、このシーズンはリーグ戦38試合中8試合の出場にとどまった。吉田のキャリアを振り返っても最少で、「チームの調子が良かったが、その輪の中に自分が入れない寂しさや悔しさがある」と話していた。
それでも腐ることなくトレーニングを続けた。「『自分がどうすれば良いか?』と言えば、出場している選手たちを上回るパフォーマンスを見せるしかない。我慢して我慢して、チャンスが来たらつかみ取ってやろうという思いで毎日やっている」(13年11月7日の吉田のコメント)。負荷の高い練習やパワートレーニングを通じて身体を強化するなど、努力を怠らなかった。