挫折と苦悩、試練を乗り越えた吉田麻也 在籍5年目で到達したプレミア100試合
状況が好転せず、焦りや苛立ちを感じる
15−16シーズンも状況が好転せず。吉田は移籍をもほのめかしたこともあった 【写真:アフロ】
それでもコマ切れながらピッチに立ち、少ない出場時間の中で精いっぱいのアピールを続けた。同時に、自身の足りないところを客観的に分析していた。
「もう一皮むけないと。詰めの甘さがある。プレミアでは、詰めの甘さやワンプレーで負けてしまう。集中力や詰めの甘さを改善していけば、もっと良い結果を出せると思う。そうしないとここでは生き残っていけない。FWではないので、結果が瞬時に見えるわけではない。やっぱり評価されるには、長いスパンでハイスタンダードのパフォーマンスを継続していかないといけない」(15年5月16日の吉田のコメント)
この年はSBを兼任したり、不定期にやってくる3バック採用時にCBのポジションに入ったりしたが、それでも先発は38試合中、半分以下の18試合。レギュラーの座をつかめなかった。
在籍4季目となる15−16シーズンも、ベンチから戦況を見守る状況は変わらず、シーズン終了間際には「バルセロナだろうがレアル・マドリーだろうが、どこであろうが、ベンチにいて成長するのはなかなか難しい。やっぱり試合に出ないと。選手として一番良い時をベンチで過ごしたくない」(16年5月8日の吉田のコメント)と、移籍の考えがちらつき始めていると明かした。この時、吉田は27歳。努力を重ねても好転しない状況に、焦りや苛立ちを感じていたように思う。
評価は結果が出たときにガラッと変わる
今年に入ってから不動のレギュラーに昇格。主将を任された試合もあった 【写真:ロイター/アフロ】
今年に入ってから不動のレギュラーとしてピッチに立ち、リーグカップではクラブにとって32年ぶりのファイナル進出に貢献。主将を任される試合もあり、吉田への評価がジワリ、ジワリと上がってきた。
自身の100試合出場にちなんで、ロンドンの日本人少年サッカーチーム「SAMURAI」の子供たちと保護者の合計100名を招待したハル戦後、吉田は次のように語った。
「僕は小学生のときに(故郷の長崎から)名古屋に行った。名古屋のセレクションを受ける時も、みんなは『絶対に受からないよ』と笑っていたし、名古屋からVVVフェンロに行く時も、『絶対に早すぎるよ』と言われた。VVVフェンロからサウサンプトンへ行くときも『プレミアでは成功しないよ』と言われたけれど、何とか、何とか、ここまできている。
そういう意味では、みんなに笑われたとしても、どんな1歩でも自分を信じてやれば、結果が出たときにその評価がガラッと変わる。それは最近の(自分への)評価を見ても分かることだと思う。あとは、『達成できる』と自分を信じたり、達成するために努力ができるかだと思います」
進化を遂げた姿は努力と忍耐のたまもの
吉田は我慢強く、時間をかけて進化を遂げた。写真は100試合目に招待された子供たち 【Getty Images】
サウサンプトン加入時に比べると体つきは一回り大きくなった。立ち姿には風格さえ感じさせ、顔つきも精悍(せいかん)さが増した。プレーも安定感が高まった。そのすべては、努力と忍耐のたまものだろう。
それでも、達成感は1割しかないという。
「これからもっともっと、150試合、200試合と伸ばしていきたい。これからじゃないですかね。次の人が、超えるのが難しいなあと思うくらい試合に出たい」
そう言うと、吉田はいつものように屈託のない笑顔を見せた。苦難の経験を糧に変えた男は、さらに前へ進もうとしている。