【ドラディション】藤波デビュー45周年を猪木、前田らが祝福 長州、ベイダーら往年のライバルたちと熱戦

高木裕美

藤波辰爾のデビュー45周年をアントニオ猪木、前田日明、長州、武藤らが祝福 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 藤波辰爾が主宰するドラディション「DRADITION 2017 藤波辰爾デビュー45周年記念ツアー in TOKYO」が20日、東京・後楽園ホールで開幕し、超満員札止めとなる2473人を動員。“飛龍”藤波辰爾のデビュー45周年を記念し、ゆかりの深い選手や師匠・アントニオ猪木氏、前田日明氏ら豪華ゲストが集結した。

 現在63歳の藤波は、1970年に16歳で日本プロレスに入門し、翌71年5月にデビュー。翌年3月の新日本旗揚げ戦にも出場した。75年からは海外遠征へ出発し、カール・ゴッチ氏に師事。78年に帰国後、新日本ジュニアに空前の空前のドラゴンブームを巻き起こした。81年にヘビー級転向後も、新日本のエースとして活躍。06年に退団後、同年8月に「無我ワールドプロレスリング」を旗揚げ(08年より団体名を「ドラディション」に変更)。15年3月には、米国WWEの殿堂入りを果たした。

往年のライバル・ベイダーらと激突

【写真:SHUHEI YOKOTA】

 この日のメインイベントでは、藤波が長州力&越中詩郎と組んで、ビックバン・ベイダー&武藤敬司&AKIRA組と対戦。かつて“名勝負数え歌”を繰り広げた長州、ドラゴンボンバーズのメンバーであった越中、往年のライバルのベイダー、闘魂三銃士として「俺たちの時代」と抗争を繰り広げた武藤、最近はタッグを結成する機会の多いAKIRAといったゆかりの深いメンバーと肌を合わせた。

ドラゴンスリーパーでフィニッシュ

【写真:SHUHEI YOKOTA】

 約6年ぶりの対戦となったベイダーは、藤波を強烈なベイダーハンマーでメッタ打ちにすると、自らマスクをはぎ取り、闘志をアピール。だが、直後に藤波がボディースラムで持ち上げようとしたところ、バランスが崩れ、ベイダーは脳天から垂直落下式にマットに突き刺さってしまう。
 さらに藤波は越中と共にAKIRAに合体ショルダーを見舞うと、さらに弓矢固め、ドラゴンスクリュー。パワーを取り戻したベイダーも、ライバル・藤波に見せ付けるかのように、越中にチョークスラム、串刺しプレス、リバーススプラッシュを繰り出すも、長州がすかさずリキラリアットを発射する。藤波は武藤のシャイニングウィザードを食らいながらも、長州のリキラリアットによるアシストを受け、ドラゴンスリーパーでAKIRAを仕留めた。

猪木のエールに現役続行アピール

【写真:SHUHEI YOKOTA】

 試合後のデビュー45周年記念セレモニーでは、前田氏、木村健吾氏、そして師匠・アントニオ猪木氏が登場し、藤波を祝福。猪木いわく「同窓会」みたいな幸せムードに包まれる中、最後は猪木が恒例の「1、2、3、ダァーッ!」で大会を締めた。
 リング上から「45年やって、まだまだプロレスに飽きたりません」と現役続行をアピールした藤波は、「今日は記念大会。人が人を呼んで、選手冥利に尽きるね」と超満員札止めに膨れ上がった客席と、駆けつけてくれた仲間に感謝し、次の節目となる50周年をも視野に入れた。

余命2年宣告ベイダー昏倒で場内は騒然

余命2年を宣告されていたベイダーは元気に試合をしていたが、試合後に突然、崩れるようにリング上に倒れて場内は騒然 【写真:SHUHEI YOKOTA】

「余命2年」の宣告を受けたことを公表していたベイダーが試合後に昏倒。場内は一時騒然となった。かつては藤波と激闘を繰り広げ、日本マット界にその名を轟かせた“皇帝戦士”だが、昨年11月に居眠り運転が原因で、車が横転して吹っ飛ぶほどの大事故に遭い、全身を打撲。その後、自身のツイッターでうっ血性心不全により医師から余命2年の宣告を受けたと公表していた。

 現在も月に数回程度試合にも出場し、来日会見でも体調は万全であるとアピールしていたベイダーだが、試合中、藤波のボディースラムで脳天からマットに落下。その後も元気に試合を続けていたが、試合終了後のセレモニーの途中で、突然、崩れるようにリング上に仰向けに倒れてしまった。
 ちょうどアントニオ猪木の登場のタイミングと重なり、場内は騒然。だが、マイペースな猪木は「元気ですかーっ!」と、いつもの調子で呼びかけ、スピーチを続行。その間に、AKIRAやセコンド陣の救護活動で意識を取り戻したベイダーは、フラつきながらも、自分の足で花道を引き揚げていったため、場内からは「ベイダー」コールや、ベイダーの決め台詞である「ガンバッテ」という声援が送られた。

 この状況を見守っていた藤波は、容態を心配しながらも「張り切りすぎたんでしょう。ボディースラムは、勢いづけようと持ち上げようとしたら崩れてしまった。最後は自分の足で帰っていったし、大丈夫だと思う」と、エールを送った。

【写真:SHUHEI YOKOTA】

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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