日大三の「もう1人のエース」岡部仁 殻を破り、センバツの切り札となるか

高木遊

「今の敵は櫻井です」

1月27日、選抜出場が決まり高く飛び上がる岡部(中央)。右端は櫻井 【写真:高木遊】

 1月27日、日大三高(東京)に第89回選抜高校野球大会(以下、センバツ)への出場決定の報が告げられると、エースナンバー「1」を背負う右腕・岡部仁(3年)は記念撮影で誰よりも高く飛び跳ね、喜びを爆発させた。「甲子園は見に行ったこともないので初めて。まだ実感はないがワクワクしています」と初々しいコメントを残した。

 岡部の説明には、「エース」ではなく「エースナンバーを背負う」と形容しなければならない。秋季東京大会での岡部の登板は8試合中2試合のみ。背番号「8」を背負う左腕・櫻井周斗(3年)が、決勝戦で清宮幸太郎(早稲田実・3年)から5打席連続三振を奪う鮮烈な活躍を見せるなど、「エース格」であることは周知の事実だ。

 同大会の決勝戦でも、脅威の粘りを見せる早稲田実に対して、小倉全由監督は櫻井を続投させ、最後は野村大樹(2年)にサヨナラ本塁打を浴び、6対8で敗れた。小倉監督は「駒があるのに駒を使い切れなかったなという気持ち」と、継投に踏み切れなかった思いを明かしているが、厳しい言い方をすれば、岡部にそこまでの信頼が無かったとも言える。

 岡部自身も、「エースナンバーを背負いながらも、あの場面で投げられず悔しかったです。早実に負けたことよりも櫻井に負けた悔しさがありました。今の敵は櫻井です」と話す。「普段は仲良いですよ」と笑いながら付け加えるも、ライバル心を露にしていた。

元プロ選手の恩師は手厳しく課題を指摘

中学時代の岡部を指導した宮下昌己氏 【写真:高木遊】

 肘の故障で外野手として入部してきた櫻井に対して、岡部は中学3年夏に投打の中心選手として、東京青山リトルシニアを日本選手権4強入りに導く活躍を見せている。

 当時取材していた筆者も、力みのないフォームから繰り出す最速138キロのストレート(現在は143キロ)とスライダーのみで相手打者をねじ伏せる投球や、左打席から逆方向のレフトへ長打を放つ打球など、随所で高い野球センスを見せる中学3年の岡部にほれぼれとした。

 それだけに「もっとやれるはず」と思ってしまう。中学3年間、監督として指導した宮下昌己氏も、その思いは人一倍強い。

 宮下氏は元中日、西武の投手としてプレー。中継ぎとして50試合に登板した1987年には、ウォーレン・クロマティ(当時巨人)に死球を与え、クロマティが激高。「クロマティに殴られた男」として印象に残るファンも多いだろう。

 自身も日大三高のOBである宮下氏は、教え子の課題について「フォームがうんぬんじゃなくて配球。状況判断が、全然分かってないなあと思います」と手厳しい。

 配球というと捕手の問題であるように思えてしまうが「投手から組み立てられないとダメですよ。捕手任せでやっている投手は上には行けません」と自身の経験も重ねて語る。そして、「中学の時はナメてる部分もあったからね。やっと分かってきたんじゃないですか」と笑いながら、こう続けた。

「相手がストレートを明らかに待っている場面でどうするか。ストレートを投げるにしてもインハイに投げるとかボール球にするとか。それでも見送られたら、ボール球になる変化球を同じ腕の振りで投げられるか? もしくは、高めのストライクゾーンを使えるか? 高校野球の解説とかでよく“低め低め”とか言いますが、自信のある投手なら、高めのストライクゾーンも使わないといけません」

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著者プロフィール

1988年、東京都生まれ。幼い頃よりスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、スポーツライターとして活動を開始。関東を中心に全国各地の大学野球を精力的に取材。中学、高校、社会人などアマチュア野球全般やラグビーなども取材領域とする。

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