波多野和也が歩んできたプロバスケ道 7回の移籍を繰り返した先に見えたもの
「どうやって自分が生きるかを考えた」
現在の琉球に至るまで7回もの移籍を繰り返した 【素材提供:(C)B.LEAGUE】
「埼玉でけがをしたときに、今もお付き合いがあるトレーナーさんと出会ったんです。滋賀でけがをしたときも、その方に復帰させてもらいました。あの人からプロとしての体の大切さを学んでいなかったら、今の年齢までやれていなかったかもしれません。HCがジェリコ(・パブリセヴィッチ)さんだった島根では、最初はあまり試合に出られませんでした。そのときに、どうやって自分が生きるかを考えた。そこで僕に残っていたのは、リバウンドしかなかったんですよね。今までも、ずっとそうだったんですけれど。リバウンドに絡んでいってジェリコHCが使ってくれるようになって、プレータイムも増えていった。やっぱり大事なのは、自分の武器を持つこと。僕にとってそれは、ずっと頑張ってきたリバウンドなんだと、島根にいってよりいっそう強く感じました」
bjリーグの開幕戦に出場して、Bリーグの開幕戦でもコートに立った選手は、ごくわずかしかいない。波多野和也が歩んできた道は、それがすなわちプロバスケ道。Bリーグ開幕戦のアフロヘアーも、薄っぺらな自己顕示欲がそうさせたのではない。
「僕は目立ちたがり屋ではないんですけれど、コートではちょっと目立ちたいなと思う(笑)。開幕戦の髪形も、人が見たら「アイツは、なんだ」ってなるじゃないですか。そうなったらプレーは地味かもしれないですけれど、僕みたいなプレーヤーでも注目してもらえるし。ああいうちょっとしたことをきっかけに、また違ったバスケットの見方をしてもらって、今まで知らなかった人にもバスケットに興味を持ってもらえるんじゃないかと思ったんです」
あとに続くべき後輩たちへ
今年35歳を迎える波多野。大学生たちに「もうちょっとバスケに真剣に向き合った方がいい」とメッセージを贈る 【カワサキマサシ】
「bjの開幕戦にいたのは、作られた僕。勝手にスターになっちゃって、あれは本当の自分ではなかったですね。Bリーグの開幕戦は、僕が今まで頑張って作り上げてきた自分。試合を見た人から『頑張ってたね』とか声をかけられて、すごくうれしかったです。それに、日本のバスケットがひとつになるときを待っていたひとりとして、歴史に名を残すじゃないですけれど、最初の1ページを共にできたことに、すごく幸せを感じました」
日本のバスケ界はBリーグのスタートによって、新たな時代を迎えた。そこへ至る道筋を作った男が、あとに続くべき後輩たちへメッセージを贈る。
「大学生って、遊んじゃうんですよね。だから大学生のあいだに、あんまり遊ぶなよ(笑)。そんな暇があったら、もうちょっとバスケットに真剣に向き合った方がいいんじゃないか。せっかくBリーグができて、ここに入って何年もプレーを続けたいんだったら、今のうちから下地を作っとけよと言いたいですね。長くバスケ選手をやるのに大事なのは、自分がどれだけ真剣にバスケットに取り組んでいるか。だからこそ今のうちに、バスケットに対する向き合い方を考えたらいいんじゃないかと思います。今の大学生が真剣にやっていないとは思わないですけれど、もっと自分が次にどうなりたいかをイメージする。そうして自分と、バスケットと向き合って、『もっと真剣にやりなさい!』って、感じですかね(笑)」
彼が大学を出るときにはまだ、プロのバスケットボールリーグは形を成していなかった。プロとしての誇りと志を持ってプレーしてきた多くの選手たちと同様に、波多野も原野を切り開き、道を作ってきたひとりであることは間違いない。