楽天・聖澤、静かに燃やす復活への闘志 新たな境地で挑むキャリア10年目
春季キャンプでは途中から1軍へ
静かな口ぶりの中でも熱い闘志を語った聖沢 【写真:BBM】
「ありがたかったですね。毎年、自主トレ期間の12月、1月をどう過ごそうか考えるわけです。毎年、いろいろなことをやっています。15年のオフはウエートトレーニングを一切せずに、すべて技術練習に費やしました。逆に今オフは、技術練習をせずにウエートトレに費やしたんです。もう一度、体を強くして、勝負したかったから。ただその分、技術練習が追いついていない部分もあったので、2軍に振り分けられたときは、『これで一定期間を技術練習に費やせるな』と内心、ホッとしていたんです」
しかし、その状況は一変してしまう。オコエが右手薬指付け根付近のじん帯損傷により、全治2〜3カ月と診断されたのだ。その代わりに1軍に招集されたのが聖澤だった。
「正直、(1軍に呼ばれて)うれしい気持ちはあまりなかったですよね。思い描いていた調整プランが頭の中にあったのに、それをすべて破壊されてしまって……」
第1クールから1軍に合流となると、首脳陣にアピールする必要がある。レギュラーの座は与えられるものではない。120パーセントの力を出さなければという気持ちと、技術練習が追いついていない分、焦ってケガだけはしたくないという思いも当然あった。
「アピールしなくちゃいけない立場なので、その両立は難しかったですね」
幸い、大きな故障もなく沖縄キャンプを乗り切り、実戦へと突入している。
肌で感じる復活への“追い風”
持ち味である機動力はまだまだ衰えていない 【写真:BBM】
「そこにこだわりを持てるところまでは来ていないですね。昔はあったんですけど。今は9番でも、レフト、ライトでも、とにかく試合に出ることが一番大事。昔の僕からすると、低い目標かもしれないですけど。ベンチにいるだけでは、何も面白くない(苦笑)。試合に出たい、スタメンで出たいという思いは、今まで以上に強くあります」
代打、守備固め、代走とすべての役割をこなしてきた16年シーズン。その難しさを痛感した。途中出場が自分自身の評価という現実をかみ締めながら、この1打席、1つの盗塁。それらの場面で結果を残し、アピールしなければと必死にあがいてきた。
復活へ向けた“追い風”も肌で感じている。昨季のチーム盗塁数は「56」。これは12球団最低の数字で、パ・リーグの盗塁王を分け合った糸井嘉男(当時オリックス、現阪神)、金子侑司(西武)は「53」。個人の盗塁数とほぼ同数という惨憺(さんたん)たる結果だった。上位進出へ向け、指揮官も課題の一つとして機動力の充実を掲げている。その旗頭となりうる存在が、この元盗塁王なのだ。
「これは僕にとってチャンス。岡島や島内にはそれぞれ長所がありますけど、僕には僕にしかできない走塁がある。盗塁王になったのは12年。あれから衰えたとか、走れなくなったという声は周りから聞こえてきます。でも、自分としては30メートル走や短距離走のタイム、瞬発系の数字を見ても衰えているという実感はないんです。レギュラーを取るためにはそこがポイント。同じ左打者ですし、打撃で岡島や島内とはそれほど差はないと思っていますから」
走塁は一朝一夕で磨けるような代物ではない。聖澤が大切にしてきたのは意識、そして感性だという。
「足が速いだけで盗塁ができるわけではないんです。まず走塁に興味を持たなければ、次のステージには進めない。あとは、けん制が来るのではという空気を感じたり、変化球を投げるのではという、投手のちょっとした変化に気づくことが大事。日常生活から常にアンテナを張りながら、ちょっとした変化に気づくこと。そういった部分には自信があります」
今季に懸ける意気込みは、去年とは比べものにならないという。それは、自身の葛藤にケリをつけたからこそ生まれたものだった。
「聖澤はまだできるんだ、そんな姿を見せていきたいですね。このままダメなままで数年でクビを切られるのか、それとも5年、10年と野球を続けられるのか。今季をいい意味でのターニングポイントにしたいです」
自身の足元をしっかりと見詰めつつ、この先の可能性も疑っていない。10年目の復活へ向け、かつてない心の充実を携えている。
(文=富田庸 写真=上野弘明、BBM)