羽生結弦が醸し出していた高揚感 敗れてなお「スケートが楽しみに」

沢田聡子

想像を絶する究極の挑戦

後半の4回転サルコウを失敗してしまった羽生は、その後のジャンプ構成を変更して、大技に挑んだ 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 1日おいて迎えたフリー。冒頭の4回転ループを、2.14の加点が付く出来栄えで決め、続く4回転サルコウも成功させた羽生だが、後半に予定していた4回転サルコウが2回転になってしまう。後半3つ目のジャンプ、トリプルアクセル+3回転トウループの代わりに4回転サルコウを跳ぶ練習はしていたようだが、「まずはトリプルアクセル+3回転トウループをしっかりときれいに決めることが先決」と判断。加点が2.43も付く完璧な出来栄えで成功させた。その上で、練習でも試みていないことに挑む。

「その後に体力が少し余っていると思ったので、初めて(4回転)トウループをやってみたら、跳べました。シミュレーションはしていないので、コンビネーションの回数などを計算しながらやっていました」

 想像を絶するような究極の挑戦が、羽生には大きな喜びだったという。

「楽しかったです。なかなか、こうやってジャンプに集中する試合もないと思うんですよ。やはりネイサンの4回転の確率の高さ、怖さというものは、非常に感じながらフリーもショートもやりました。ただ、それが自分の限界を引き上げてくれることは間違いないですし、実際練習でもしたことがないようなことをやったので。さらに自分の中でレベルアップできたことを感じられるフリーだったなと思います」

「突き上げられる恐怖感で試合をやっているのではなく、ただひたすら自分の完成形を試合の場で出したいという気持ちが、今は強くあります」と言う羽生。「自分の持っているものを出せれば、勝てるという自信はあるか」と問われ、「あります」と即答した。この大会で、ショートで2本、フリーで5本の4回転を入れたチェンの総合得点は307.46点。それは330.43点という羽生が保持する世界最高得点のすごみをあらためて示すものでもあり、羽生は4回転の本数が急激に増えていく状況を自らの糧にし、さらに進化し続けている。

火をつけられた飽くなき向上心

今大会を制したチェン(右)。平昌五輪では羽生にとって好敵手となりそうだ 【写真:Lee Jae-Won/アフロ】

「1年後のこの会場で、いくつの、そして何種類の4回転を跳ぶだろうと思いますか」という質問に、羽生は「五輪の時に自分が何本跳んでいるか、ちょっと想像がつかないです」と答えた。

「たぶん僕が(ジャンプのレベルを)押し上げたというよりも、みんなで切磋琢磨(せっさたくま)して押し上げてきたと自分の中では思っているので。その中でも常にトップを張りたいと、今でも思っています。今日演技してみて、実質トライした回数としては、クワド(4回転)5本にトリプルアクセル2本、ということなので、これからさらに練習して『もしかしたら5本の構成にもできるかな』という手応えはありました」

 チェンがうらやましく、また勝ちたかった、と率直に語った羽生だが、限界に挑む選手同士として最大限の敬意を示した。

「彼は5本のクワド、2本のトリプルアクセルをやって、転倒もなく、抜けもなくプログラムをやり切れたことは、非常に尊敬に値すると思いましたし、『おめでとう』という気持ちになりました。これからさらに彼もブラッシュアップしていくだろうし、僕自身もブラッシュアップしていかなければいけないなと思います」

 平昌へ向けて好敵手を得た羽生が醸し出していたものは、追われる恐怖とはかけ離れた高揚感だった。

「ソチ五輪の時もそうでしたけれども『まだまだ分かんないなあ』って。これから誰が4回転ルッツ、フリップを跳んでくるか分からないし、もしかしたら4回転アクセルを跳んでくるかもしれない。本当にこれからのスケートが楽しみで、練習がまた楽しみになりました」

 火をつけられた飽くなき向上心は、1年後同じ会場でどんな滑りに結びつくのか。楽しみなのは、羽生本人だけではない。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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