2人の監督は“共存”できない スペイン暮らし、日本人指導者の独り言(16)
どちらが正しいかという議論は不毛
彼ら3人がいるから充実した指導ができているし、愚痴も聞いてもらっている。日本人同士で気心が知れるというベースは大事。プロの監督もお気に入りのスタッフを抱えている 【木村浩嗣】
どちらが好きかという議論はできるが、どちらが正しいかという議論は不毛である。グアルディオラとモウリーニョのサッカーのどちらが正しいかは、2人に一生議論させても結論は出ない。もちろん本人たちは自分が正しいと確信し、信念を持って自分のサッカーを貫いている。食い違いはプレースタイルに関することだけではない。選手との接し方、チームの規律、合宿の必要性、ローテーションの考え方、好みの選手のタイプ、得意なセットプレー……。すべてにおいてだ。
私は校長にAチームを任せた時点で、「子供にとってもロングボールサッカーを覚えられるから得だろう」くらい気楽に構えている。Aチームを指揮できる時はもちろん私のやり方でやる。ロングボールを蹴らせず後ろからつなげさせる。子供たちにもその準備はできている。
私のテクニカルチームは私も含めて日本人4人で構成されている。この中で私だけが監督で3人はコーチだ。監督、つまりシステムとプレースタイルを定め、練習と試合を率い、子供たちの前で一席ぶち、親たちの不平不満を引き受ける。ジャーナリスト業の合間ではあるが私だけが専従で、みんなには仕事や勉強の邪魔にならず時間がある時に来てもらっている。最終決定権と最終責任は私にある。この監督とコーチというヒエラルキーがあるから、うまくやっていけている。もし誰かが監督であればテクニカルチームはとっくの昔に破たんしているだろう。
8年前に経験した苦い出来事
サッカー観は当然違っていた。もうシステムから違う。これまで友人、恋人もほとんどスペイン人だったのに、彼とうまく行かなかったのは相性もあったのだろう。当然チームは低迷し最下位を独走していた。彼のテコ入れ策に心の中では首を傾げながら黙々とシーズンが終わるのを待っていた。
「アシスタントはできない。もう監督しかしたくない」と言うと監督業を知り尽くしたかのように聞こえるかもしれないが、そんなことは全然ない。他の監督から学ぶことは山ほどあるのだが、それを同じベンチ内でするのではなくオブザーバーとしてやっている。
練習メニューを盗むのはお手の物だし、校長が子供たちに喝(かつ)を入れるのを耳をそばだてて聞いているし、対戦相手の戦術や率い方にも教わることは多い。傲慢(ごうまん)であることは承知している。でもそれは一方で、全責任を負う覚悟でもあるのだ。チームを預かるみなさん、やっぱりそう思いませんか?