熊本に紫紺の大旗を持ち帰る――149キロ右腕の熊工・山口翔の覚悟
過去に春20回、夏20回の甲子園出場回数を誇る熊本工高のエース・山口。10年ぶりのセンバツ出場の原動力となった 【写真=BBM】
「自分の力を試してみたい」
「握力を含め、ウエート・トレーニングよりも全身が鍛えられる。大人が持ったら、腰を痛めてしまいますよ……(苦笑)」
冬場の厳しいメニューも前向きに消化できるのは、目標があるからだ。熊本工は昨秋の九州大会4強に進出し、主将・藤村大介(現巨人)を擁して以来10年ぶりの春の甲子園を決めた。149キロ右腕エースは興奮を隠し切れない。
「全国を経験したことがない。自分の力がどれだけ通用するか、試してみたい」
私学強豪からも誘いがあった山口が古豪・熊本工を選んだ理由はこうである。
「中学当時、九州学院が強くて、強い相手を倒して甲子園に行きたいと思った」
戦線離脱中に熊本地震を被災
約2カ月の戦線離脱中、熊本地震で被災した。「1回目(4月14日)は部活後の帰宅途中でした。自転車が傾いて……。恐怖と親が心配で……。2回目(同16日)は寝ていたんですが、経験したことのない揺れで……」。ライフラインが寸断され2日間の車中泊、近くの体育館での5日間の避難生活も経験している。
5月の大型連休明けまで学校は休校。自粛していた野球部の活動再開後も、山口は治療と地道なリハビリ生活が続いた。体幹、腹筋を鍛え、右肩の筋力を落とさないため、座ったままのネットスロー。何とか、夏の県大会に間に合わせた。
プロに進んだ秀岳館主将の言葉
「指先がつりそうでした……」
10回裏1死満塁。迎えるは1番・松尾大河(横浜DeNA3位入団)だったが、フルカウントからファウルで粘られ、最後は根負け。160球目のストレートは、松尾のグリップ付近に当たり痛恨のサヨナラ押し出し死球(6対7)。無念の思いで藤崎台球場を引き揚げる際、2年生エースは秀岳館主将・九鬼隆平(福岡ソフトバンク3位入団)から声をかけられた。
「春の甲子園目指して頑張れよ、と。良い人だな〜と。九鬼さんは大人です。新チームで頑張ろうと、切り替えました」