【新日本プロレス】CMLLの逆輸入ファイター・OKUMURA「両団体の架け橋になるのが僕の使命」
13年のメキシコ生活「CMLLに育ててもらった」
メキシコでは試合に出てなんぼの世界。必死に戦い続け、今年で丸13年を迎える 【写真:SHUHEI YOKOTA】
とにかく火・水・木曜の練習は欠かさない。試合の日は早い時間に入って準備する。それから、試合がない日でも、アレナ・メヒコに行って練習する。そうすれば、『アイツ、いつもいるな』と思ってもらえるし、もしかしたら声が掛かって試合に出られるかもしれませんからね。最初はネコさんの紹介だから入れたけど、とてもじゃないけど普通入れてくれない世界。だから、みんなをリスペクトしようと思いました。ボクはメキシコから『来てくれ』と望まれて行ったわけじゃない。日本人と分かるようなスタイルを勉強、強調して、(客を)ハイテンションにさせるような試合を心掛けました。客入りが良ければギャラのパーセンテージも上がるし、常設会場ではお客さんが入ってナンボ。トップ選手でも、半年も出なければ忘れられてしまう。それほど厳しいのはCMLLと新日本くらいしかないんじゃないでしょうか?
――当初は順調にいったんですか?
最初はワーキングビザで、入るのはネコさんの紹介で、外国人で珍しいということだったのでしょうが、身の丈に合った起用じゃなかったですからね。行った年(04年)の12月に、カベジェラ戦(髪切りマッチ)でネグロ・カサスに負けてしまって、『どうなるんだろう?』と思いましたね。05年2月に馬場さんの7回忌追善興行に出るために一時帰国したんですが、その月に新日本から田口(隆祐)クンが来て、ブラック・タイガー(シルバー・キング)と、『ツナミ・デ・オリエンテ』を結成して生き延びれましたね。それで1年経ってビザも更新してもらえた。新日本から、棚橋(弘至)選手、中邑(真輔)選手、邪道選手、外道選手なんかが来て、チャンスもありました。だけど、06年、2年経つときにオフィスに呼ばれて、『もう帰るよね?』と言われて、『ドキッ』としました。ネコさんに相談したりもしましたけど、なんとか更新してもらえた。その後、後藤(洋央紀)選手が来て、1年くらい一緒にやったりしましたね。
――08年6月には大ケガもありましたね?
ハイ。右の鎖骨を骨折しまして、クビになると思いました。寝てても寝汗をかいて目が覚めたりで、不安でした。プレート7本とネジを入れたんですが、金属が合わなくて、再手術になったんです。腰の骨を移植する形で。今でもケガした所は思わしくないですね。そのとき、(パコ・)アロンソ社長と話せる機会があって、ボクは『早く治して復帰しますから』と言ったんですが、社長が『オマエのことは分かってるから。家でテレビでも見て、ジッとしとけ!』と言ってくれたんですね。『ボクは外国人なのに、見ててくれたんだな』と思って……。その年の11月に復帰しましたけど、CMLLに拾ってもらって、『もう1回ここでがんばろう』という感謝の気持ちでやるようになりました。それから、会社は違うタイプのビザを申請してくれたり、永住権を取るサポートをしてくれたりしましたね。ボクが来たときにいた外国人はみんな辞めてるんですね。1年の予定が、気が付けば、今年の5月で丸13年。ホントCMLLに育ててもらったと思ってます。毎日必死だったから、日本にいたときのことは思い出せないくらいです。
シリーズのチケット完売は「信頼を得ている証」
「来年も新日本に呼んでもらえるようクォリティーの高い試合をする」と意気込み 【スポーツナビ】
去年は172試合やりました。アメリカにも6回行きました。2月にテキサス州ラレド、4月にニューヨーク、ロサンゼルス、5月にテキサス州エル・パソ、8月にラレド。10月にはROHのメリーランド州ボルチモア大会で、ゲレーロ、エチセロと組んで、世界6人タッグ王座決定トーナメントに出場しました。どこに行っても、クォリティーの高い良い試合をすれば、また呼んでもらえる。たとえば、地方のモンテレーや、チワワ犬で有名なチワワにプロモーターから呼ばれて、現地のスターと試合をして、そこでいい試合をして、プロモーターに満足してもらわないと、次は呼ばれない。横浜アリーナと同じくらいのキャパシティのアレナ・メヒコで週3回くらい試合することもあれば、アトランティスと一緒に青果市場で試合したこともある。オープンの会場もありますが、CMLLに所属しているから呼んでもらえるし、また呼んでもらえないと意味がない。ボクがすごいんじゃなく、CMLLの看板がすごいんです。そうじゃないと、こんなに長く存続できない。1933年に設立されてますから、今年の9月で84年。歴史ある世界最古の団体なんです。
――1度は日本を捨てたOKUMURA選手が、09年に新日本に“逆輸入”という形で参戦されましたが、特別な感慨はありましたか?
正直、毎日必死でやってきて、日本での昔のことなど思い出せないくらいだったのすが。CMLLには、ほかにも選手がいっぱいいます。そのなかで、ボクが選ばれた以上、CMLLの良さを日本のファンに伝えていかなければならない。それがボクの役目で、両団体の架け橋になれればと思いましたね。それを継続していくことが、ボクの使命だと。個人としては、クォリティーの高い試合をしなければならないと思いました。
――新日本とCMLLはその年の11月に業務提携を発表しましたね。
そうですね。これはもう両団体の信頼関係。菅林(直樹)社長(現会長)と、アロンソ社長との厚い信頼関係があってのことですね。
――11年から、毎年1月に「CMLL FANTASTICA MANIA」が開催されるようになりました。
ハイ。最初の11年は後楽園2連戦で、CMLLから9選手とリングアナ1人が来日しました。12年も後楽園2連戦。13年は後楽園3連戦。14年から地方も回るようになって、16年が6大会。そして、今年は7大会で、17選手とリングアナ1人が来ています。メキシコでも、あちこちで定期戦をやってますし、1度に多くの主力選手を送り込むのは大変なこと。これはもう、絶対的な両団体の信頼関係がないとできないんです。かつて、日本の他の団体と交流があったこともありましたが、新日本とは、より素晴らしい関係をつくっていかなければならない。そのなかで、ボクたち選手は個々でいい試合を提供していかなければならないですね。
――今では、OKUMURA選手は、リング内外で両団体の架け橋として、このシリーズに欠かせない存在となりましたね。
それはボクには分からない。ボクは選手として、CMLLに育ててもらったし、両団体との架け橋になれるよう、がんばるだけです。コンディションを整えて、クォリティーの高い試合をして、また呼んでもらえるようにがんばるのがボクの役目。もう、こういう機会がなければ,日本に帰ってくることもないですからね。今回も地方の4大会はすべて超満員で、後楽園3連戦も、前売りの指定席は完売しているそうですし、うれしいですね。このシリーズが、ファンに浸透して、信頼を得ているからこそでしょうね。
――アメリカのROHとの交流もスタートしました。
そうですね。去年から、ROHとの交流が始まって、新日本を含めた3団体がスクラムを組んで、素晴らしい関係をつくることが大事。CMLLは以前、アメリカの別の団体と提携したことがあったけど、終わってしまいましたから、この関係は大事にしたいです。今後、新日本からだけじゃなく、ROHからも選手がメキシコに来るだろうし、ウチからも8人くらい、ROHに行った。輪が広がって、大きくなっていけば素晴らしい。ボクはそのなかの1人として、いい試合をしていかないといけない。
――CMLLに骨を埋めるつもりですか?
先のことは分かりませんが、正直こんなに長くいるとは思わなかったし、こんな巨大な組織のなかで、凡人のボクが長く居続けられるとは思いませんでした。
――将来的にはメキシコに永住する考えですか?
おそらくそうだと思いますけど、さっきも言いましたが、先のことは、分からないんです。アメリカのグリーンカードも、しばらくいなければ失効しますよね? メキシコの永住権もそうなんです。日本では2つのナショナリティは認められていないし、メキシコ人になったら、ボクは日本人じゃなくなってしまいます。プランを立てて来たわけじゃないし、生き残るために毎日必死でやって、一歩一歩歩んできたら、CMLLに13年もいたという感じです。後悔はしていません。帰る場所があったら、結果的に、ここまでいさせてもらえなかったかもしれない。ボクは体が大きいとか、特別なものがあったわけじゃないし、ものすごいジャベの達人でもない。そういう人がいっぱいいるなかで、こうやって今でも所属で、レギュラーでいられることに感謝してます。ボクはメキシコがすごく好きで来たわけじゃなく、ゼロで来ただけに、ふしぎな感じです。CMLLとメキシコという国には本当に感謝です。リングではルードだから、『ブーブー』言われてナンボですけど。
――新日本から来た選手で,特に印象深いレスラーは?
今まで新日本から来た選手は、みんながんばってましたよ。最近ではカマイタチ(高橋ヒロム)! 彼は本当に素晴らしい選手です。
――20日から後楽園3連戦が始まります。初めて見るファンもいると思いますし、見どころをお願いします。
CMLLのクォリティーを見てほしいですね。それから、ファンの人に見逃してほしくないポイントがあります。新日本から出るほとんどの選手はメキシコに行ったことがあって、メキシコのスタイルに対応できるインターナショナルな選手たちなんです。一方、CMLL側では、この大会に呼ばれるのは半端なことじゃなくて、大変なこと。選りすぐられた選手たちなんです。だから、いい試合が生まれる。いい試合をしないと、ファンも来てくれないですからね。こちらは、トップ選手から初来日の選手まで、みんな競争を勝ち抜いて,新日本に呼ばれているんです。これはレスラーの履歴書として、素晴らしいものなんです。そこは大事な部分なんで、ファンの人には、その辺を理解して楽しんでほしいですね。
――来年の「FANTASTICA MANIA」でも、“再来日”をお待ちしております!
来年も新日本に呼んでもらえるよう、クォリティーの高い試合をして、CMLLの素晴らしさを伝えたいと思います。
1972年5月25日生まれ、大阪府池田市出身。栗栖ジムでトレーニングを積んだ後、1994年12月31日にデビュー。全日本プロレスなどで活躍した後、2004年5月にメキシコに渡り、CMLLに参戦する。現在CMLLでのキャリアは13年目を迎えた