強肩捕手に届いた有資格1年目での吉報 がに股打法の強打者も米国野球殿堂入り
通算449本塁打のバグウェル
独特の“がに股打法”からホームランを連発したバグウェル 【Getty Images Sport】
もとはレッドソックスからドラフト4巡目で指名されてのプロ入りだったが、91年にアストロズで正一塁手としてメジャーデビューすると、新人王を獲得。個性的なフォームが多いメジャーリーグの選手の中でも目を引く、両足を大きく広げて構える「がに股」のような独特の打撃スタイルで、常にアストロズ打線の中軸を張った。
未曽有の長期ストライキでシーズンが途中で打ち切られた94年には打率3割6分8厘、39本塁打、リーグ最多の116打点でナショナル・リーグのMVPを受賞。00年に新球場エンロンフィールド(現ミニッツメイドパーク)に移転するまでは圧倒的に投手有利といわれたアストロドームを本拠地としながらも、96年から8年連続で30本塁打以上をマーク。97年には球団史上初の40本超えとなる43本塁打、新球場移転後の00年に放った47本塁打は、今も球団記録として残っている。
その後も、入団時からアストロズ生え抜きだったクレイグ・ビジオとともにチームをけん引し、05年には球団創設44年目にしてワールドシリーズ初出場を果たす。だが、この年は肩を痛めて満足に働くことができなかったバグウェルは、翌年はメジャーでプレーすることのないまま現役を引退。15年に殿堂入りしたビジオに後れはとったものの、昨年は“当選”まであと15票まで迫り、今年は規定を大きく超える86.2%の得票率で、堂々とその仲間入りを果たした。
盗塁成功率8割4分7厘のレインズ
メジャー歴代5位の808盗塁を記録したティム・レインズ 【Getty Images Sport】
80年代前半、そのスピードでア・リーグを席巻したのがアスレチックスのリッキー・ヘンダーソン(09年殿堂入り)なら、ナ・リーグを代表するスピードスターとして鳴らしたのがレインズだった。
21歳で開幕を迎えた81年にエクスポズ(現ナショナルズ)のレフトのレギュラーになると、選手会のストライキで大幅にシーズンが短縮されながらも、88試合で71個の盗塁を決めて盗塁王を獲得。そこから4年連続でタイトルを手にし、83年には自己最多の90盗塁をマークするなど、86年まで毎年70以上の盗塁を記録した。
その後はビンス・コールマン(カージナルス)の台頭もあって盗塁王の座に返り咲くことはなかったが、ホワイトソックス移籍後の92年まで12年連続で30以上の盗塁を記録(うち11回は40盗塁以上)。打っては86年に3割3分4厘で首位打者となり、打率3割を5回マーク。エクスポズでレギュラーになった81年以降の実働21年でシーズン打率が2割7分を下回ったのはわずか4度だけで、通算打率も2割9分4厘と、バッティングに関しても波の少ない選手だった。
そのレインズが最後に脚光を浴びたのは01年。ヤンキース、アスレチックスを経て、古巣エクスポズに復帰したこの年、息子のティム・レインズ・ジュニアがオリオールズでデビュー。シーズン終盤には自身が息子のいるオリオールズに移籍し、90〜91年のケン・グリフィー親子(シニア&ジュニア=マリナーズ)に次いで史上2組目の親子チームメイトとなった。
レインズの通算808盗塁はメジャーリーグ史上5位。盗塁成功率8割4分7厘は通算1406盗塁のヘンダーソンや938盗塁のルー・ブロックを大きく上回り、通算400盗塁以上の選手では歴代1位にランクされている。
なお、今年度はロドリゲスら3人の選手に加え、ベテランズ委員会によりMLB第9代コミッショナーのバド・セリグ氏と、現ブレーブス球団社長で元GMのジョン・シャーホルツ氏の選出も決まっており、総勢5名が新たに殿堂入りすることになる。
一方で、メジャーリーグ史上初の通算600セーブを達成したトレバー・ホフマン(元パドレスほか)は、BBWAA投票有資格2年目の今年は得票率74.0%と、わずか5票届かず“落選”。来年こそは吉報が届くか、注目される。