滋賀入りを決断した並里成 3度の挫折も忘れられないNBAへの思い
シーズン途中で滋賀へと加入
シーズン途中の11月から滋賀に加入した並里 【素材提供:(C)B.LEAGUE】
「米国に渡るときは日本にはもう帰らないつもりだったので、どこが話をくれても特に関心はなかったです」
そう思っていた彼の心を動かした要因のひとつは、自分のためにポジションを空けて待っていた滋賀の熱意だった。
「どこのチームもそうなんですけれど、普通はシーズンが始まってから選手をとるというギャンブルはしません。ですが滋賀は、僕のためにずっとポジションを空けていてくれていた。それも今季だけじゃなくて、昨季もそうだったという話を聞いて、すごく必要とされていることが伝わりました。実際に加入してみて、滋賀はアップテンポで速いバスケをするチームだと感じました」
加入発表からわずか1週間後の大阪戦で、並里は青いユニホームを着てコートに立った。並里が加わったことでチームに前への推進力が生まれ、滋賀は目指すアップテンポのバスケを展開。18日の第1戦はチームは82−86で惜敗したものの、彼は自分らしさを発揮できるスタイルの中で躍動し22得点の活躍。翌日は9得点・6アシストで、チームの連敗ストップに貢献した(79−68)。
「チームは僕をいちばんのオプションにしてくれていますし、僕の良いところを最大限に出そうと遠山(向人)ヘッドコーチも頑張ってくれている。その中で自分にはチームを勝たせる力があると思っていますし、今の僕はそういう立場にある。それが、自分のやりたいバスケだなと思いました」
スラムダンク奨学金の1期生として初めて渡米
高校1年生でウインターカップを制し「バスケのうまさには自信があった」と並里(右) 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
「ずっとNBAでプレーしたいとは思っていましたが、それまではただの憧れでした。それがスラムダンク奨学金というルートができて、初めて米国に行けた。最初は言葉の壁があったり、自己主張を強くしないと受け入れられない環境になじめず、なかなか自分の力を発揮できませんでした」
高校1年生でウインターカップを制するなど実績を残し、自分の実力にも絶対的な自信を持っていた。しかし彼が米国で最初に味わったのは、軽い挫折。
「それまでは、圧倒的なバスケのうまさだったりには自信があったんです。誰が見ても分かるだろう、オレのうまさはという感じでした。それが向こうに行くとみんなデカいですし、自分みたいにうまい人もいっぱいいる。そういう人たちが出てきて、自分の良さが分からなくなって。ホームシックにもなりましたし、人生で初めての感覚を味わいました」
当初は試合でコートに立つことすらなかった。しかしそんな状況にくじけず、わずかでも出場時間が得られると結果を残し続けて、周囲を認めさせた。
「最初はまったく、試合に出られませんでした。やがて残り2分とかで出るようになり、僕が出て流れが一気に変わって勝った試合もあって、そこから自分のリズムも良くなっていきました。そうして最後の方は、2番手のガードで20分くらい出るようになったんです。僕らのチームはトーナメントの決勝では負けたんですけれど、そこまで上り詰めることができたし、最終的には達成感がありました。あの留学で自分が世界に対してどのくらいの位置にいるのか分かりましたし、バスケに対する考え方も変わった。それがいちばん得たものでしたね」