過去とは違う「井原・福岡」のJ2降格 スタイルを仕上げるために選んだ継続の道

中倉一志

現実とどこまで真摯に向き合えるか

新シーズンに向けて、選手たちが現実とどこまで真摯に向き合えるかが重要だ 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 そして、致命的だったのは、こうした課題が開幕戦から指摘されながら、シーズンを通して修正されなかったばかりか、改善の兆しすら見られなかったことだ。その要因を、井原監督は次のように話す。

「選手も言われていることは分かっていると思う。けれど、課題を解決するためには、個のところだけではなく、チームとして補わなければいけない。そこをなかなか共有できずに、それぞれ個々の問題になってしまったところがあるのかなと思う。自分がなるべく責任を負いたくないということであったり、人任せになるということが、ゲームの中でもかなりあったと思う。併せて、勝てないことで自信がなくなっていって、どうしても弱気になってしまうこともあった」

 試合後のミックスゾーンでは、選手たちは、毎試合のように同じ反省の言葉を口にした。課題を解決するための決意も話した。しかし、それをピッチの上で表現することは最後までなかった。「降格が決まり、ノープレッシャーなのにできないというのは、やはり、シンプルに技術の面であったり、実力の部分であったりすると思う。まずは、そこをしっかりと認めて、日々の練習からやっていくしかない」とは、2ndステージ第16節のサンフレッチェ広島戦(1−4)終了後の三門雄大の言葉。現実とどこまで真摯(しんし)に向き合えるか。新しいシーズンに向かって、それが1人ひとりの選手たちに問われている。

井原監督のスタイルを一緒に仕上げたい

クラブはすでに井原監督(中央)へ続投のオファーを出している 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 さて、再びJ1の舞台を目指す戦いを始める福岡だが、最終戦終了後、川森敬史代表取締役社長は、報道陣に囲まれる中、井原監督に続投のオファーを出していることを明らかにした。

「去年、監督1年目で、前年度(14年シーズン)16位のチームをJ1に昇格させてくれた手腕を評価してのもの。就任1年目で昇格を果たしたため、J1で戦う準備としては、まだできないことがある中で臨んだシーズンになった。その中でも、過去のJ1での戦いと比較すると、井原監督が構築してきたものが随所に見える戦い方だった。それを最終的に仕上げてもらいたいという思いがある。構築したいスタイル、分かってはいるけれどもやれていないことも含めて、一緒に仕上げたい」

 今回も含めて、4度の降格を経験している福岡は、降格のたびに監督を交代し、それまでの戦いを否定するかのように新たなチーム作りに着手して再スタートを切ってきた。しかし、それが功を奏することはなく、J2でも低迷し、J1復帰までに5年の歳月を費やしてきた。過去の経験からも分かるように、敗戦を誰かの責任にしたところで何も生まれない。現状を分析し、反省すべきところは反省し、その上でこれまで積み上げてきたものをベースにして、そこへ新たな力を積み重ねていくことでチームは本当の力を付けていく。

 ましてや、Jリーグに参入して21年の歴史を重ねてきたとはいえ、いまの福岡は13年の経営危機を乗り越え、新たな歴史を歩み始めたばかりのクラブ。チームも含めて、まだまだ足りないことは多く、基礎を作り上げている段階で、チームの根幹とも言える監督を変えることは決して得策ではない。

クラブ全体として、戦う準備をどこまでできるか

 確かに、成績だけを見れば、年間4勝という数字は、福岡がJ1で残した成績としては最少の数字。監督に対する批判が出ても不思議ではない。だが、改めて16年シーズンの戦いぶりを振り返れば、内容でJ1勢に圧倒されたという試合は数少ない。1シーズンを通して感じられたのは、対戦相手の戦力を徹底的に分析し、自分たちの持つ力を最大限に生かす「井原スタイル」とも言える戦い方だった。J1で戦うために補強した新戦力のほとんどが、コンディション不良などの理由でフルに活躍することができず、“アラートさ”に欠くという個のクオリティーに課題を抱えるチームを率いながらも、あと一歩の戦いを繰り返してきたのは、そうした井原監督の手腕があったからと言える。その手腕は評価されるべきで、続投のオファーは妥当な選択だと言えるだろう。何より、多くのファン、サポーター、福岡に関わる人たちも、井原監督とともにチームを強くしたいという思いを抱いている。

 ただし、井原監督を続投させるだけで問題が解決するわけではない。井原監督が常々口にする理想のサッカーとは、「いまいる選手で、最も勝つ確率が高いサッカー」。そのスタイルを貫きながらも結果が出なかったのが16年シーズン。クラブ全体として、戦う準備をどこまでできるかが最大の鍵であることは言うまでもない。

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著者プロフィール

1957年生まれ。サッカーとの出会いは小学校6年生の時。偶然つけたTVで伝説の「三菱ダイヤモンドサッカー」を目にしたのがきっかけ。長髪をなびかせて左サイドを疾走するジョージ・ベストの姿を見た瞬間にサッカーの虜となる。大学卒業後は生命保険会社に勤務し典型的なワーカホリックとなったが、Jリーグの開幕が再び消し切れぬサッカーへの思いに火をつけ、1998年からスタジアムでの取材を開始した。現在は福岡に在住。アビスパ福岡を中心に、幼稚園、女子サッカー、天皇杯まで、ありとあらゆるカテゴリーのサッカーを見ることを信条にしている

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