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栗原健太が振り返るプロ入りから引退まで
〜尽きぬ広島愛と東北愛〜

やり切ったという満足感

2009年には23本塁打をマークして4年連続で20本超え。通算100本塁打をマークした年でもあった
2009年には23本塁打をマークして4年連続で20本超え。通算100本塁打をマークした年でもあった【写真=BBM】

 愛称は“コング”。山形県出身ながらまるで南国育ちのような彫の深い顔立ちと、豪快なバッティングで人気選手となり、広島の主砲を務めた。故障がつきまとったプロ野球人生。生まれ故郷の東北でピリオドを打ったが、その表情にはやり切ったという満足感がにじみ出ていた。


 熱く優しいハートで多くのファンに愛された。長年過ごした広島に骨をうずめる覚悟もあったが、自らのプライドをかけて移籍を決断した。満身創痍(そうい)の肉体にムチを打ちながら臨んだ最後の戦い。そこにピリオドを打った栗原健太が、穏やかな表情で現役生活を振り返っていく。


──引退会見を行ったのが10月1日ですから、すでに1カ月以上が経過しています。東北楽天の2軍打撃コーチ就任が決まっており、ご自身にとってはすでに過去の話かもしれませんが、あらためて引退に至るまでの経緯を聞かせてください。


 ファームの公式戦が9月25日に終わったんですけど、引退を決めたのはその1週間くらい前ですかね。今シーズン、楽天にテスト入団したわけですけど、自分の中では「この1年」という決意を持ってやっていましたし、結果が出なければ……ということも当然考えていました。実際、1軍には一度も上がってないわけですから。やはり、1軍の戦力になれなかったことが、自分の中では大きかったです。


──現役を退くとなれば当然、ご家族にも話したと思います。


 妻に打ち明けたのも同じタイミングだったと思います。僕には3人の娘がいるんですけど、楽天でプレーすることになって、小学生の上の2人は、広島の妻の実家に預けました。三女はまだ小さいので、妻と一緒に仙台に来て、3人で暮らしていたんです。家族離れ離れは寂しいんですけど、僕としてはこの1年が勝負だと思っていたので。


──ついてきてくれた奥様とは、どんな話をされたのでしょうか?


 妻は「一生懸命やってきた姿はずっと見てきたし、私も悔いはないよ。お疲れ様」と言ってくれました。故障が多いプロ野球人生でしたから、妻には苦労させたと思います。


──現役を引退すると決めて、思い浮かんだことなどはありますか?


 決めるまでは本当にいろいろ考えましたけど、自分で決めて、周りに報告してからは、どこかスッキリした思いでした。今まで肩に重くのしかかったものが取れたような、自分の中では精いっぱいやってきて悔いはないという気持ちです。良いときも悪いときもありましたが、どんなときでも真剣に野球に取り組んできたつもりですし、正直、プロに入ったときはここまで長くやれると思っていなかった。いろいろな方に支えられて長くやってこられましたので、感謝の気持ちでいっぱいです。

プロ初先発は2002年9月4日、「7番・サード」で出場。豪快な空振りでプロ野球人生の幕が開いた
プロ初先発は2002年9月4日、「7番・サード」で出場。豪快な空振りでプロ野球人生の幕が開いた【写真=BBM】

──高校を卒業して以来、広島で16年、そして楽天で1年、17年もの間、プロ野球選手として走り続けてきたわけですが、そうではない自分に戻るという実感はありますか?


 いやあ、正直、想像がつかないですよね(苦笑)。オフの期間も含めて、“24時間プロ野球選手”という生活をずっと送ってきました。常に野球中心の生活でここまでやってきましたから。“選手である自分”と考えなくていいのはラクですけどね。でも、その一方で寂しい部分ももちろんあります。


──ラストシーズンを地元である東北の球団で過ごした意味。これをどう捉えているのでしょうか?


 高校を卒業して広島に行きましたから……。人生で過ごした時間というのは東北と広島、だいたい半々なんですよね。もちろん、どちらの場所にも愛着があるんですけど、昨オフに広島を自由契約になって、どの球団に入れるのか分からない状況の中で、ゆかりのある楽天に声を掛けてもらえました。小さいころから応援してくれた山形の皆さんが近くにいるわけですから、その分の恩が返せるのかなと思うとうれしかったですね。実際に山形では4、5試合、2軍戦があったと思います。やはり地元ということで大声援をいただけましたし、生まれ故郷に戻ってきたなという実感がありました。

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