阪神・福原忍に引退を決断させた1球 タテジマ一筋18年間を振り返る
何かと巨人には縁があると思っていた
05年のリーグ優勝は先発として、4月に5勝を挙げるなど開幕ダッシュに貢献。2年ぶりリーグ優勝に大きく貢献した 【写真=BBM】
入団してから何かと巨人に縁があるなあ、と思っていました。初登板、初勝利、初完投・完封勝利……すべて巨人戦。その巨人戦というのは、甲子園でも東京ドームでもすごく盛り上がるので、伝統の一戦という感じがしますし、気持ちはすごく高ぶりましたね。でももう一度あのマウンドへということは考えていません。もうしんどいですよ(笑)。あとは若い後輩たちに託します。でもやはり甲子園のファン、阪神ファンの方々にたくさん応援してもらって本当にうれしかったですね。本当にあの大声援に後押しされたのは事実ですからね。あの雰囲気に自分の力以上のものを出させてもらった感じはしています。
03、05年の優勝時のファンはすごかったですよ。先輩たちの活躍がすごく、チームも強かったので、球場のファンの声援がいつも以上の強い声援だったと思います。でも、あのときは僕も若手だったので、先輩方の後ろをついていくだけの感じでしたね(笑)。その後は僕もベテランとなってチームをけん引していきましたが、あの味をもう一度、そして若い選手たちにも、03、05年の経験を味わわせてやりたいと思いながら、何とかしてリーグ優勝しようという気持ちが強かった。
14年はリーグ2位から勝ち上がり、日本一のチャンスはありましたよね。そうは言っても、僕らはリーグ優勝をしていなかったので、日本シリーズのときにはどこかで「オレたちは2位なんだ」という気持ちがあり、少し引っかかる部分が……。僕自身、リーグ優勝を経験しているので、優勝してクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズという流れが本流だと思ってしまいましたね。でも、18年間のプロ野球人生で日本一にはなれませんでした。そこは後輩たちに託します(笑)。
周りのおかげで取れた2度のタイトル
先発だと約1週間に1回のみの登板。でも、その中で長いイニングを投げないといけない責任がある。「先発は1週間に1度の登板でいいな」という人もいますが、決してそういうことではない苦しみがあります。
一方で、中継ぎも毎日準備をしながら、絶対に0点に抑えて、抑え投手に回さないといけない使命がある。抑えも完ぺきに0点で試合を終わらせないといけない。それぞれに難しいポジションなんですよね。それを経験できたことは大きかったですね。特にセットアッパーのときは7、8回の厳しい場面に登板し、何とか先発のために、というのもありましたし、しっかり抑えにつなごうとも思いながら投げていました。
その14、15年は最優秀中継ぎ投手を獲得。これはもう、裏方さんも含めみんなのおかげです。周りのみんなが盛り上げてくれましたから。特に当時の抑えのスンファン(呉昇桓=カージナルス)も「一緒に取りましょう!」と言ってくれたりしましたからね。皆さんのおかげで取れたタイトル。本当に感謝しています。
最後に阪神での18年間、本当にたくさん応援してもらい、感謝しています。この応援を次の若い後輩たちに注いでください。
(取材・構成=椎屋博幸)
※24日に来季からファーム育成コーチに就任することが発表された