“空振り”に終わった五輪ボクシング 課題多き日本が東京で挽回するには?
村田諒太もその安定感を高く評価した成松(右)だが2回戦で米国代表にポイント負け 【AIBA(国際ボクシング協会)】
実力を出し切ったものの……
開会式での森坂(右から2人目)。20歳になったばかりで4年後が期待される 【日本ボクシング連盟】
この競技を統括するAIBA(国際ボクシング協会)がWSB(ワールド・シリーズ・オブ・ボクシング)やAPB(AIBAプロボクシング)といったプロボクシング企画を発足し、ここに五輪出場権を分配。だが日本は結局参加できなかった時点で、「成松+αの出場」がリオ五輪の現実的な目標だと思っていた。そのため結果は、現在の日本の実力を最大限に出し切ったものにも感じる。しかし日頃、ボクシングを観ない、もしくはボクシングと言えばプロのみというファンには、ロンドン五輪で村田諒太(当時・東洋大職員)が男子ミドル級の金メダル、清水聡(当時・自衛隊体育学校)が男子バンタム級の銅メダルを獲得し、大注目を集めたこととのギャップに落胆した人も少なくあるまい。
日本の“オフェンシブ”偏重に弱点
2014年南京ユース五輪にはボクシングでも3選手が出場。銀1・銅1と好調だった 【日本ボクシング連盟】
2011年に採点方法が改正された際、これまで国際大会で実績の少なかった村田が、一時的に抜群のルール適応力を見せ、この年の世界選手権で日本史上最高の準優勝。ロンドン五輪でのメダル獲得を期待される存在となった。メダルの期待は、男子フライ級の須佐勝明(自衛隊体育学校)が次に持っていたが、ロンドン五輪でいざ組み合わせが決まると、清水への期待がそれ以上に高まった。村田、清水とも苦手なタイプの選手と戦わずに表彰台入りまでいたれたのは、ある意味、幸運であったが、その運を逃さない本人たちの執念があったのも確かである。
同五輪後、須佐と男子ウェルター級代表の鈴木康弘(自衛隊体育学校)が引退。メダリストの村田と清水のほか、代表候補だった井上尚弥(相模原青陵高)はプロに転向したが、将来を有望視できる逸材も複数台頭していた。また日本はここ4年間、ジュニア(15歳、16歳)とユース(17歳、18歳)の成績向上には世界的にも高い評価を得た。
しかし、これがエリート(19歳以上の成年)では日本が勝てないままであることを気付きづらいものにさせていたのかもしれない。
長年、日本低迷の一因として明らかにあったのは「真っ向勝負への過剰な美意識」で、日本の選手は懐の浅いオフェンシブ・スタイルを好む。これはキャリアの浅いうちは相手を飲み込む強引さにつながるが、最終的には深い懐でクレバーに戦うディフェンシブな選手が無難に勝ち上がるのが、何度ルールが変わっても、この競技の特徴であり続けてきた。しかし日本のように、高校や大学でカテゴリーが区切られていると、こうした選手が早期に活躍する可能性が減り、勝つためにオフェンシブにならざるを得ない。これが社会人になってから、他国の選手よりも長距離での駆け引きが下手な結果につながっている可能性はある。
国際経験の少なさも日本の致命的な問題
しかし、ここには重要な誤解があり、プロボクシングの10点満点法と五輪ボクシングの10点満点法で決定的に異なるのが、後者は五輪的モラルに則って「ダメージ」を採点基準にしていないことだ。結局は今も有効打の「数」が最優先に求められており、「ダメージ」を意識したボクシングをイメージすると、過度な力みにつながり、判断が難しいはずのボディブローを過大評価してしまう。相手の顔を跳ねあげた数を基本に計算すると、今回のリオ五輪でもほぼ納得のいく判定が出ていた。
もし確実に足りなかった要素を挙げるなら、代表候補の国際経験だ。五輪ボクシングでは、大きな大会への調整を小さな国際トーナメントで行うのが一般的。国際トーナメントに出た場合、敗退しても帰国まで他国の敗退組と実戦練習を繰り返すのが一般的で、村田のような野心の強い選手は強豪国のコーチに指導を求めることもあった。ちなみにこの競技で最もレベルが高い大陸はヨーロッパだ。「ヨーロッパが政治的な主導権を握って自分たちの都合にあったルールに改正されるから」というやっかみも一理あるが、ヨーロッパに国際大会が充実しているのも確かだ。しかし、今回の代表候補は予選を通過した成松と森坂を含めて、国際経験が少ないまま最終決戦に臨んでいる。日本の場合、主軸になるはずの社会人選手には上半期にほとんど試合がないのだ。
ルール改正の多いこの競技において、国際経験で感覚的に必勝法を見出すことがベストであり、世界選手権やアジア競技大会の前に、複数の国際大会で調整する文化は築くべきだ。あくまで理想は、日本に独自の国際大会文化が根付くことで、かつてはジャパンカップのほか、世界のトップ選手に日本人選手が挑むチャレンジマッチという大胆な興行もあったが、いずれも長続きはしなかった。