「一番追い込んだチーム」でメダル獲得 シンクロ選手、井村HCコメント
井村HC「この1回にかけて泳いでこい」
責任を持って選手たちをメダルへと導いた井村雅代HC 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
井村 これは私の目指していた結果なので、あの子たちがすごく喜ぶ姿を見たときに、やっぱりうれしかったです。率直にうれしかったですね。
――演技の出来は?
井村 力は出したと思います。
――フリールーティーンに向かう前はどう声を掛けたか?
井村 今日に至るまで、私は9回の五輪の中でもっとも中身の濃い、ハードな練習をしてきました。ロシアは知らないけれども、よそのどの国よりも時間の長さだけではなく、過酷な練習をしてきたと。だから今からたった1回、できないはずはない。いろいろなことが起こっても、それに耐えるだけの練習は、適用できるだけの練習はしてきました。そしてここまですごくハードな練習をやってきたのだから、終わった後に悔いがあるような演技だけはするなと、全部この1回にかけて泳いでこいと、ともかく探るな、攻めろと言いました。それが最後に彼女たちを送り出した言葉です。
――実際に攻めた演技だった?
そうですよね。勇気を出していたと思います。ましてやフリールーティンというのは、フリーだからフリーなんですけど、リフトとか1つ大きなことがあり水の中で歯車が狂ってしまうと、最後まで尾を引いてしまいます。そういう意味ではすごくスリルのある試合なんです。よく泳ぎ切ったと思います。
――メダルが決まった瞬間は選手に何と言ったか?
ともかく、「良かったね」と。「あなたたち、メダリストになっちゃったね」と言いました(笑)。印象的だったのは、乾だけが、ものすごくほっとした顔をしていたことです。泳ぎ切った後、他の子はみんな順位も含めてドキドキの顔をしていたのですが、乾だけは泳ぎ切って私のところに戻ってきて、顔を見るやものすごくほっとしていた。あらゆる面で責任を感じているんだなと。そういう意味で乾は本当の一流選手になったと思います。
2年間で世界で戦えるアスリートになってきた
井村 全然違う。あのときは日本語が通じていませんでした(笑)。日本語の意味を本人たちも分からなかったと思います。日本語が通じ出したのは、去年の世界水泳の3カ月前ぐらいからじゃないですか。それまで通じていませんでした。それから比べたら、アスリートになりました。世界で戦えるアスリートになったと思います。それはすごく精神的な部分が大きいと思います。
――日本語が通じなかったという意味を具体的に教えてほしい。
井村 私が怒っていても、何を怒っているのか分かっていなかった。何をまた怒っているの、と。怖くて「はい」と言っていたけれど、何も分かっていなかった。全部おかしかった。要するに、日常生活からおかしい。アスリートとしておかしい。練習態度もおかしい。練習への取り組みも、気持ちの持ち方も全部おかしい。私は、練習ですべてを出して、そこで自分の限界を上げていくのが練習だと思っていますが、あの子たちは試合用の自分がいて、練習用の自分がいました。「そんなのはアスリートじゃないよ」と言ったけど、分からなかったと思います。
――根本から変えるのは難しかった?
井村 根本からは変えられないと思ったので、とにかくメダルを取らせてあげようと。2014年にウクライナに勝ってメダルを取って、15年の世界水泳でメダルのところに行けた。そこで彼女たちはきっと、私と一緒にやっていたらメダルを取れると思ったのだと思います。でも「それも違う」という戦いが、世界水泳が終わってから、私にはありました。私とやったってメダルは取れないと。私と一緒にやって、私に付いてきてじゃなくて、あなた方が何をするかなんですと。そこがなかなか甘いんですよ。
あなたたちが私の練習の元で、どれだけ自分で自分を追い込め、酷使するかでメダルのところに行ける。どこまで行けばメダルを取れるか、ということは私は知っている。でもあなたたち、私のいつも3歩か10メートルか、100歩か知らんけど、わたしの後ろに付いてきたって取れない。そういったことを去年の世界水泳でメダルを取ってからはものすごく言い続けました。
あなた方がどのような練習をするかでメダルが取れるんだと。もっと進化したら、私はもっと前を知っているから教えてあげる。だけど、常に後ろから来ているようじゃ無理なんだと。私を抜きなさいということをすごく言っていました。最後までエネルギーのいる選手たちでした。私がグワーっと言わないと、本人たちがカーッとしないんです。
デュエットがメダルを取ったら、私たちもメダルを取ってやろう、ああなりたい、表彰台に乗りたい、となるかと思ったら、非常に落ち着いていて「何なのそれ」って感じでした。だから五輪の寮に入ってから、大爆弾を3回ぐらい落としましたよ。そんなの初めてです。今までの選手でそういうことを選手にしたことはない。やっぱり優しく、最後は褒めて送り出してやろうと思っていたのですが、普通にタラタラ、テンションが下がっていくんです。だからいつまでも、私が引っ張っていました。かなりエネルギーのいる選手たちでしたね。私がカーッとして、「もっとやれ」と言って要求したら付いてくるんです。優しいことはいらない子たちです。
――エネルギーが切れそうになったことは?
井村 いや、切れない。でも今切れました(笑)。もう切れた。もうない。
――最後まで井村コーチを追い抜くことはなかった?
井村 ないない。残念ながらあの子たちはない。
――それでも迫ってきた感じはあった?
井村 存在は分かるようになりました。後ろを見なかったら付いてきているのか、きていないのか、分からなかったから。今は、近くにしっかり付いてきているのは分かるようになりました。
――選手気質に時代を感じる?
井村 ものすごく感じます。豊かで平和な日本だからです。この若者たちが、グローバルな世界で戦っていけるのかと思ったら、すごいもんですよ。日本は危機ですよ。これは。あの子らは本当に良い子ですよ。本当に良いやつ。本当にかわいいやつ。かわいいやつじゃあかんですって! かわいいやつじゃ大勝負じゃ勝てない。悪者になれとは言わないですけど、どこかで「何が何でも」という強引さと強さを持たないと。
金メダルを取るには大型化が必須
井村 点数配分は見ていないです。点数を見てみないと分からないですけど、日本はリフトが不得意やという世界で変な太鼓判を押されています。だから、いろいろなバラエティーで勝負してやろうと思いました。
それともう1つ。世界から見たら、身長の低い選手も混ざっていて、足が短いんです。箱山と乾ぐらいですよ、通じる足は。みんな短いです。私は自分のことを認めるところから物事を考える人。だから足が短くて体が小さいことを認めて、それでも勝ちたい気持ちは変わらないので、その選手が勝つにはどうしたらいいのかを考える。そうしたら、丈夫で長持ちしかないと思ったんです。だから最後の時に、20何秒のハイブリッドフィギュアを持ってきたり、ペラペラしないでカチッとやり切る。そうやったときに(手足が)長い選手がヘラヘラするよりも、短いけれどもカチッとした方が、スポーツ的に迫ってくる方がいいかなという作戦で、ああいう振り付けを考えました。そういう部分は当たっていたかなと思います。
――今日の試合はしびれたか?
井村 しびれません(笑)。
――いつになったらしびれるのでしょうか?
井村 金メダルを取ってくれたら、しびれるだろうね。私はもういいやと満足し切ってしびれるでしょうね。
――そのあたりを目標にしているのか?
井村 今までメダルのなかったあの子たちが、ここ2年、3年間、前を見続けてきた。自分を甘やかすんじゃなくて、上を見続けて自分で自分のことを叱咤(しった)し続けられたら、そこには必ず(金メダルが)あると思います。それができるのが日本人だと思います。辛抱強くて、着実にできるのが。
――東京で金メダルを取ってくれると期待されているが?
井村 ロシアがあれだけ偉いのは、金メダルを取っても緩めないからです。選手はすごく練習をするし、あの国は出る前に日本に負けないぐらい喝を入れて送り出しますからね。そういう意味でそんなに甘くはないですけれども、もう1つ前に行くことは全然可能なことです。
――これから中国やロシアを追撃していく立場になるが、何が一番必要か?
井村 まずは、もうちょっと大型化しないと駄目ですね。フライヤーだけはいいですけど、それ以外は大型化しなければダメ。私がちょうどいない頃に、大きな選手を一時はそろえたのですが、甘ったれの大きな選手ばっかりだったようで。そうではなく、本当に強いアスリートのハートを持った大型選手を育てていくこと。それでなかったら、気持ちのしっかりしているのがまずは一番です。日本人はそれで戦えます。だけど上というのは、そんなもんじゃないと思います。両方を兼ね備えていないといけない。
――今のジュニア選手には大型でハートを持った選手がいるか?
井村 いやこれは、育てていくことでしょう。少し枠を広げて、その中で育てていく。これも日本の甘さで、選ばれたら、親も勘違いするんです。要するに、セレクションをかけたら勘違いしてしまうので、やっぱり、ふるいにかけるのが日本の社会には向いていると思います。日本はあまりにも平和過ぎますから。だから負けても追及しないでしょ? みなさん(マスコミ)を筆頭に。追及したらよろしいですよ。はっきり言ってやったらいいと思います。
――現代っ子の気質に対して、褒めて伸ばすとか、やりたいようにやらすという指導者が多いと思うが?
井村 それはただの無責任です。私は今回、あの子たちがメダルを取れた。それは私の責任の取り方だと思います。むちゃくちゃ強引に指導しました。むちゃくちゃ強引に指導して、あの子たちには合わないかもしれないですけど、それでもこうしなければメダルのところにはいけないんだということを考えて、むちゃくちゃ強引にあの子たちを引っ張りました。それであの子たちは付いてきたと思うんです。距離はあったけど、付いてきたと思います。
そのむちゃくちゃ強引に指導した私の責任の取り方というのは、あの子たちにメダルを取らせてあげることだと思いましたから。今は責任を果たしたなと思っています。
――強引の最たるものは?
井村 練習で本人たちが「しんどい」と言っても、「しんどいと決めるのは私や」と言って、もっとしんどいことをさせて。だってあの子たちがこれ以上やったら病気になるとか、倒れるとか分かりますから。私もプロですから。そのギリギリの路線をやったというところですね。
――切れてしまったエネルギーは4年後に向けて戻るのか?
井村 そんなに時間はかからないと思いますけど、今は水を見たくないです(笑)。