900試合登板の中日・岩瀬仁紀の凄さ 元同僚の前田幸長氏からのエール
8月6日、史上3人目となる900試合登板を達成した中日・岩瀬 【写真は共同】
ルーキー時代から安心感はあった
最初は特にすごいなと思った印象はなかったんですよ。岩瀬が99年の開幕戦に登板した時も打たれましたからね(3連打を浴びて1死も取れずに降板)。同じ中継ぎだった僕は、開幕2戦目に(抑えの)ソンさん(宣銅烈)にアクシデントがあって、代わりに登板してセーブを挙げた。でも、その後はなかなか調子が上がらず、その間に岩瀬が2、3試合をピシャリと抑えて、そこで僕と岩瀬の立ち位置が変わりましたね。勝利の方程式の一角として、彼は投げれば投げるほど良くなって行った。
――前田さん自身は前の年に中継ぎで36試合に登板して防御率2.34の好成績を残した。同じリリーフ左腕が入団するということで、ライバル意識もあったのでは?
特にライバル視はしてなかったですよ。まだルーキーでしたし、ちょっと余裕をかましてました(笑)。でも真っすぐは速かったですし、何よりスライダーですよね。99年のシーズン途中から、周りも徐々に「岩瀬って凄いじゃないか」って思うようになった。チームもその年は優勝して、岩瀬自身も防御率も1点台(1.57)。彼がマウンドに上がれば大丈夫だという安心感は1年目からすでにありましたね。
――年齢的には4学年下になりますが、“後輩”としての岩瀬投手はどのような印象がありましたか?
大学、社会人を経てのプロ入りでしたけど、入団当時は彼もまだ若かったこともあってそれほど口数が多くなかったですけど、人懐っこい部分もありましたね。僕が正津(英志)とかとホテルの部屋の前で「どっかメシ食べに行こうか」って話をしてると、岩瀬が向かい側の部屋のドアをこっそり開けて「ぼ、ぼくもいいですか?」って(笑)。それから一緒に飯を食べに行ったりはしましたね。
身体が果てしなく強い印象
2014年には日本プロ野球史上初の400セーブを達成した岩瀬 【写真は共同】
まずはやっぱり、身体が強かったということですね。リリーフ投手は他のどこよりも負担の大きい職場です。試合で投げなくても毎日ブルペンで肩を作らないといけないですからね。その中で僕は、彼が「ちょっとここが痛い」とか「ちょっと張りがある」みたいなことを言っているのを聞いたことがない。僕も身体は弱い方ではなかったですけど、岩瀬に関しては身体が果てしなく強いという印象ですね。しんどい時とか痛い時というのはあったと思いますけど、それを弱音として口に出すことはなかったですね。
――8月6日には米田哲也さん(949試合)、金田正一さん(944試合)に続く史上3人目の900試合登板を達成しましたが、改めてこの「900」という数字については?
900って、想像がつかないですよ(苦笑)。米田さんも金田さんも、40年、50年ぐらい前の、先発投手がほぼ毎日投げていた時代ですからね。現代野球の中で900試合登板というのは本当にすごい。普通の投手なら身体が壊れますし、それ以前に長い間、トップレベルの実力を維持しないといけない。普通なら実力が衰えて、信頼、地位を守れなくなってしまう。
――岩瀬投手のピッチングの中で最も優れた部分はどこでしょうか?
やっぱりスライダーでしょう。僕が巨人に移籍してから、高橋由伸現監督に「岩瀬の一番いいところってどこなの?」って聞いたことがあったんですが、その答えは「スライダーの曲がりが遅い」ということでした。「真っすぐと思って振りに行ったところから曲がるからとらえるのが難しい」と。いいストレートというのは手元で良く伸びるし、いい変化球というのは手元で良く曲がる。
――岩瀬投手の調整法として、他の投手と違う部分、気付く部分はありましたか?
常に同じパターンを崩さずに練習しているという印象はありましたね。それに加えて、イチローや山本昌さんなども通っている鳥取のワールドウィングに、岩瀬も毎年のように通って、その器具をナゴヤドームに持って来たりもして、筋肉の柔軟性を上げてケガをしない肉体を作っていた。若いころとベテランになってからは身体も変わってきますし、その中で身体のケア、コンディション維持というものに対しての意識はやっぱり高いものがありますね。