スタートは20人のサッカーチームだった!?  FC岸和田が総合スポーツクラブになるまで

中田徹

FC岸和田、立ち上げの背景とは?

立ち上げの背景をNPO法人 FC岸和田の理事を務める河内賢一氏に尋ねた 【中田徹】

 大阪府と和歌山県の境にある和泉葛城山の大阪府貝塚市側の麓にFC岸和田のホームグラウンド、いずみスポーツヴィレッジはある。105メートル×68メートルのフルピッチのコートには最新の人工芝が貼ってあり、ナイター照明も完備されている。駐車場、クラブハウス、車いす対応のトイレなどは手作りだ。とても町クラブのものとは思えぬ、素晴らしい施設である。

 岸和田市内の小学校教頭である河内賢一は毎朝、自慢のピッチに立ち寄り、うさぎの糞を掃除して、大阪湾や六甲山を眺めながらウッドデッキでコーヒーを飲むのを日課にしている。「もうちょっとアップスペースを広くしたいな」「3段ぐらいの簡単なものでいいから、観客が座って観戦できる席を作りたいな」などと、河内はアイデアをめぐらせる。

 FC岸和田が生まれたのは2002年のことだった。春木中学校のサッカー部顧問だった河内に転勤話が持ち上がったものの、教師の高齢化が進み、サッカー部顧問の引き継ぎ手が見つかりそうもなかった。

「少子化の影響もある。このままだと春木中学校だけでなく、近隣の野村中学校、光陽中学校もサッカー部が休部になるだろう」。そう思った河内は、近隣中学校の教員や少年サッカーチームの関係者とともにU15カテゴリーのサッカークラブ、FC岸和田を立ち上げたのだ。当時は光陽中学校や大宮小学校のグラウンドを使って活動していたという。「私はFC岸和田を立ち上げる時から、『総合型の地域スポーツクラブにしよう』という考えを持っていました」と河内は言う。

「あの頃は、ちょうど日本のスポーツの問題点がいっぱい見えてきた時期だったんです。少子化や、教員の高齢化があり、間違いなく部活動によるスポーツは衰退するのは、文部科学省も気付いていた。だから、文部科学省は『総合型地域スポーツクラブを作れ』と言っていたし、助成金も出そうとしていた。だけど、誰も『総合型地域スポーツクラブとは何か』というのを分かっていなかった。私も分かっていませんでした」

「総合型地域スポーツクラブ」の最低条件は、理論的には多種目、多世代。U15カテゴリーから始めたサッカーに関しては、クラブ立ち上げ時から「一緒にやりましょう」という仲間がいたので2年目に少年、中学、ユース、社会人、シニアと“多世代”をクリアした。

「ですが、(多世代をクリアしても)“多種目”にしなければ『総合型地域スポーツクラブ』にならない。『どうしたらいいんだろう』と思って、04年にエアロビクス教室とヨガ教室を週1回で始めました。でも、当時は通年ではありませんでした。というのも、中学校の剣道場を借りていましたから、夏は蚊が入ってきて、冬は風が吹き込んで寒くなり、ヨガをやるにも瞑想(めいそう)できない(苦笑)。だから、春と秋だけヨガをやって、その間の3カ月だけエアロビクスやピラティスをやっていました」(河内)

200人の会員を集めるストリートダンスクラブ

FC岸和田が主催するダンス発表会『Beat Box』はチケット完売のビッグイベントに 【写真提供:NPO法人 FC岸和田】

 これで“多種目”も達成できたが、大阪体育協会から「FC岸和田さんは、サッカーは子供から大人までやっていますが、エアロビとヨガに女の子がいませんね」と指摘された。「確かに『総合型地域スポーツクラブ』を名乗っているのに、岸和田で女の子がスポーツをしていないことになってしまう」と河内が悩んだ末に、作ったのがストリートダンスクラブだった。

「ストリートダンス(を始めたの)は05年ぐらいだったと思います。そこで、優秀な先生とめぐり合うことができ、子供がどんどん来るようになって一教室20人の定員があっという間に埋まり、100人を超えるまでになりました。私が素人目に見ても、子供たちがうまくなっているように見えました」(河内)

 河内はサッカー畑の人だから、「(サッカーは)練習したら、勝っても負けても試合をするもの。ダンスも練習ばかりじゃ面白くないだろう」という思いがあった。それで、ストリートダンスの先生に「(ダンスには)試合のようなもの、つまりコンテストはないの?」と尋ねた。

「この子たちにはとても無理です」(ストリートダンスの先生)
「いや、コンテストに出たら、子供たちも争って刺激になるし、レベルも分かるんじゃないですか?」(河内)
「そうなんですけれど、この子たちは出ても予選で落ちてしまうから」(ストリートダンスの先生)
「では、FC岸和田主催として、僕たちがコンテストを開催しちゃいましょう」(河内)

 というやり取りがあって、関西中のダンススクールにメールやFAXを送った。

「そうしたら、本当にすごいチームがいくつもきたんです。サッカーなら、春先に0−10で負けてもいいから試合をして、そこから力を上げていくことができるけれど、ダンスは“0−10”以上の差が演技にあった。私が勉強になりましたね。」(河内)

 1つの曲、1つのナンバーを半年から1年踊り込んで、完全に仕上げて、2分から3分で発表するのがダンスの世界だった。「隣の中学校に全国大会で特別賞を取った子がいると聞いて、エキシビションで踊ってもらいました。本当にすごい演技でした。その子のお父さんに、ダンスを習うのにかかる費用を聞いたら月額20万円。それは、ちょっと問題かなと思いました」(河内)

 お金をかけずにうまい子を作る方法はないかと、河内は考えた。

「FC岸和田のストリートダンスの会員は100人いるので、そこからうまい子を選抜して、特別レッスンも含め週3回練習して、月5000円の会費のままでいい。コンテストの参加費はクラブ持ち、という条件で選抜チームを作ったら、モチベーションが高くなりました。選抜に選ばれた子はコンテストに選ばれてどんどんうまくなった。そして、女の子がクラブの中に生まれた憧れのスターを目指す形が生まれた。今のAKB48のように(選抜の)入れ替わりも実施しました。やがてFC岸和田のストリートダンスクラブは賞を取るまでになりました」(河内)

 ストリートダンスクラブは200人の会員を数えるようになった。賞を競うコンテストに出るだけでなく、全員が踊れるように“発表会”を開くようにした。最初は文化会館で開いていたのが、年々発表会の規模が大きくなっていき、今は岸和田市内最大の浪切ホールを使っているが、それでもチケットは前売りで完売し1000人のお客さんで埋まる。やがてお母さんたちが「私たちもあそこで踊りたい」と言い出したのが、フラダンスクラブの創設につながった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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