ヒカルイマイ一閃からウオッカの偉業まで 競馬記者が『思い出のダービー』を熱弁!

競馬専門紙「優馬」

競馬専門紙「優馬」トラックマンアンケート

 今週のオークスが終われば、いよいよダービーウィーク! そこで今回は「優馬」&「競友」のTM(トラックマン)&記者達に『思い出のダービー』について語ってもらいました。

関東予想陣の思い出のダービーとは?

不良馬場で行われた2011年の日本ダービーはオルフェーヴルが二冠を達成(撮影:下野雄規) 【(C)競馬専門紙「優馬」】

武井TM(関東本紙)
2011年・第78回 オルフェーヴル

震災の年のダービー。雨が降り続き、不良馬場のレース。直線で外から何度となくフタをされながらも、それを弾き返しての圧勝。その精神力の強さに頭が下がる思いがしました。

佐藤直TM
1993年・第60回 ウイニングチケット

競馬サークルの誰もが“ダービーを勝たせてあげたい”と思っていた柴田政人(現調教師)の勝利に、感動が何倍にも膨れ上がった。『政人! 政人!』後にも先にも、私がこれほど叫んだダービーはないだろう。さらに、『やっぱり、ダービーを勝たなきゃなぁ』と事あるごとに言っていた彼が、レース後のインタビューで『世界のホースマンに、日本ダービーを勝った柴田です、と言いたい』と答えた時には、涙が出そうになった。

久光TM
1992年・第59回 2着馬ライスシャワー

思い出のダービーはミホノブルボンが勝った1992年となるが、当時13歳の私が魅せられたのは2着ライスシャワーの走り。『重い馬場の中、一番小さな馬が圧倒的に強いミホノブルボンに真っ向勝負を挑み最後まで他の馬には負けなかった』と素直に感動したのだ。このレースをたまたまテレビで観戦した私は、以降ライスシャワーを追いかけ、競馬というものに深く傾倒していく。この世界に誘ってくれた非常に縁の深い馬である。

西田TM
1994年・第61回 ナリタブライアン

全身がバネという走りで直線は離す一方。競馬に興味を抱かせてくれた一頭。

坂倉TM
1990年・第57回 アイネスフウジン

テレビ越しだったけど、『ナカノコール』は衝撃でした。

小島TM
1988年・第55回 サクラチヨノオー

メジロアルダンをゴール前で差し返したサクラチヨノオーのダービーは忘れられない。人馬共にすごみを感じ、テレビの前でもゾワっとしました。

大江原TM
1971年・第38回 ヒカルイマイ&1990年・第57回 アイネスフウジン

ヒカルイマイは田島良保騎手とのコンビで、当時は関東馬が優勢の時代でジョッキーも若手には厳しい状況下での勝利。頭数も今とは違いフルゲートが28頭くらいあったと思うが、それを直線だけでゴボウ抜きした映像は鮮烈だった。
アイネスフウジンは、減量が困難で騎手生命を危ぶまれていた中野騎手を復活に導いた馬。ウイニングランでの「ナカノ」コールが凄かった。このダービーを機にジョッキーコールが始まったと記憶している。

守屋TM
2007年・第74回 ウオッカ

自分にとって思い出のダービーといえば、現地で初観戦した、牝馬のウオッカが勝ったこの2007年になる。現場で実際に見るとその感動の大きさはほかでは味わえないくらいのもの。さらに、64年ぶり、戦後では初の牝馬によるダービー制覇という偉業達成に、しばらく腕には鳥肌が立っていたのを覚えている。ダービーは、やはり特別。今年も当日は大混雑が予想されるが、ぜひダービー・デイの競馬場の雰囲気を現地で体感してもらいたい。

伊利TM
2012年・第79回 ディープブリランテ

手前味噌ですが、紙面での予想が的中した2012年のダービーが印象に残っています。◎ディープブリランテとフェノーメノの馬連で5,680円となかなかの配当でした。

上田編集長
1996年・第63回 フサイチコンコルド

ゲンキンなもので、思い出のダービーと問われれば馬券を取ったレースしか思い出せない。私の場合、フサイチコンコルドが勝った1996年がソレ。未知の魅力に惹かれることが多い私は“無敗馬の単勝が30倍もつくなら……”と、単勝馬券を購入した。実際の配当金=27.6倍ではなく“30倍”と記憶しているのは、その日が従兄弟の結婚式で午前中に購入したためだ。競馬をやっていると、レースと記念日がリンクして日記がいらない。

デスク
1986年・第53回 ダイナガリバー

この年の勝ち馬はダイナガリバー。今をときめく社台グループの創設者である吉田善哉さんが、悲願のダービー制覇を成し遂げた年だ。ただ、その勝ち馬には特別な感情はなく、思い入れがあるのは、3着だったアサヒエンペラー。皐月賞3着、当時はトライアルだったNHK杯も3着、そして本番も……。鞍上はまだデビュー3年目の中舘英二。当時は“アローエクスプレスの柴田政人”の件なども引き合いに出され、本番での乗り替わりも取り沙汰されたが、師匠の加藤修甫師が、頑として中舘を乗せ続けたことも印象深い。当然、皐月賞もダービーもこの馬からだったので、馬券的にはいい思い出ではないのだが、東京の長い直線で“なかだて〜、なかだて〜”と、声を枯らしたことが、昨日のことのように思い出される。

清野(編集)
1993年・第60回 ウイニングチケット

入社したての1993年のダービー。

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著者プロフィール

競馬専門紙「優馬」のスペシャル競馬サイト。トレセンや競馬場という現場で記者やトラックマン達が仕入れてきた生情報を元に、予想記事やコラム記事を掲載しています。さらに、競馬ファンのニーズに対しダイレクトに応えていくようなコンテンツも展開。

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