ヒカルイマイ一閃からウオッカの偉業まで 競馬記者が『思い出のダービー』を熱弁!

競馬専門紙「優馬」

関西TM陣が語る思い出のダービー

スローで流れた2006年の日本ダービーはメイショウサムソンが勝利(撮影:下野雄規) 【(C)競馬専門紙「優馬」】

田崎TM(関西本紙)
2004年・第71回 キングカメハメハ

安藤勝己キングカメハメハと、これを徹底的にマークした蛯名正義ハイアーゲーム。レースはこの2頭のデットヒートかと思われたが、力の違いを見せつけるかのようにキングカメハメハがハイアーゲームを振り切り、更には猛然と追い込んできた横山典弘ハーツクライをも難なく退けてしまった。今までのダービーで一番しびれる強さだったし、名手と名手のガチンコ勝負は、馬券を離れても賞賛に値するものだった。

持木TM
1986年・第53回 ダイナガリバー

当時高校生だった1986年のダイナガリバーが勝ったダービー。明石家さんまさんがラジオでグランパズドリームを推していました。枠連しかなかった時代なので、今なら相当な高配当だったと思いますが、良い思い出です。

那谷TM
1997年・第64回 サニーブライアン

「これはもうフロックでもなんでもない! 二冠達成!」が名実況として知られているサニーブライアンの勝った1997年が真っ先に浮かんでくる。競馬記者2年目で駆け出しだった私の予想は完敗。だが、このレースから学んだことや身に染みた衝撃の大きさは、私に専門家としての自覚を促してくれた。いわばアマチュアとプロの分水嶺となったレースだ。

加茂TM
2006年・第73回 メイショウサムソン

メイショウサムソンを担当していた加藤厩務員には色々と話を教えて頂いたし、お世話になっていた方なので、勝った時は本当に嬉しかった。当時、自分の取材担当厩舎の馬で1〜4着を独占し、印象に残る日本ダービーになった。

須藤TM
2004年・第71回 キングカメハメハ

この仕事をしていてダービーを生観戦したことがないので熱く語るほどの思い出がないのですが……。強いて挙げるならキングカメハメハが勝って、2着にハーツクライが入った2004年のダービー。当時担当していたラジオ日本の関西馬のコーナー(正式名称は忘れました)でその2頭を推奨した覚えがあります。意外と配当が良くて、このレースをきっかけにハーツクライが好きになりました。

瀬古TM
2014年・第81回 ワンアンドオンリー

橋口弘師の念願が叶ったダービー。

福田TM
1992年・第59回 ミホノブルボン

坂路調教の先駆者。故・戸山調教師の傑作。

吉田TM
1991年・第58回 トウカイテイオー

映像でさかのぼって見ると、一番古い記憶がこの年だったと思います。

菅TM
1992年・第59回 ミホノブルボン

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著者プロフィール

競馬専門紙「優馬」のスペシャル競馬サイト。トレセンや競馬場という現場で記者やトラックマン達が仕入れてきた生情報を元に、予想記事やコラム記事を掲載しています。さらに、競馬ファンのニーズに対しダイレクトに応えていくようなコンテンツも展開。

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