小林誠司が歩み出したレギュラーへの道 動き出した巨人「世代交代」の歯車

鷲田康

エース菅野も認める小林のリード

開幕からマスクをかぶり、首位に立つ巨人のレギュラー捕手として活躍する小林(左端)。中央は菅野、右端は長野 【写真は共同】

 開幕戦を含め4月13日のヤクルト戦までの4試合で、二人はコンビを組んで2試合連続完封を含む3勝(0敗)で防御率は0.82という数字を残している。この結果を踏まえて菅野が小林の成長を感じることの一つが、マウンドのたびに前の登板、その前の登板を生かした配球の連鎖だという。

 4月6日の阪神戦。

 先発した菅野は6安打無四球で完封勝利を収めているが、試合中にバッテリーの間でこんな会話があった。

「今日はカーブのキレがいいから、もっとカーブを使った配球にしてくれないか」
 序盤のベンチで菅野がこういう要求を出したが、即座に小林が首を振った。
「いまカーブを使っちゃうと後半が苦しくなるから、まだ使いたくない」

 結果的にはこの小林の判断が、確かにゲームの終盤に生きたと菅野は言うのだ。
「あの判断のおかげで完封できたと思いますし、小林のリードがあったからだったんです」

 ただ、である。

 菅野が“成長”を感じたのは、この阪神戦のリードだけが根拠ではないのだ。実はその次の試合で見せた連鎖のリードにこそ、小林の手腕をより感じたと菅野は言う。

 今季4度目の登板となった4月13日のヤクルト戦。場所は菅野がプロ入り3年間、勝ち星のなかった鬼門・神宮球場である。

 この試合では阪神戦で前半には“封印”して、終盤の武器として使ったカーブをプレーボール直後から決め球に使って、組み立てをガラッと変えた。

「阪神戦を意識したというより、開幕戦で対戦しているので、そのことを考えて変化をつけることを考えた配球をしました」と小林は言う。

 要は前の登板、前の対戦をインプットして、それとは違うアプローチの組み立てを考える。

「その辺がうまく引っ張ってくれているなと感じるところなんです。ヤクルト戦では前半からカーブがすごく有効に使えたのは大きかったですね」
 そうして菅野は神宮球場での初白星を、2試合連続の完封で飾った。

 もちろんこれは菅野という球界を代表する投手の力のなせる勝利ではある。ただ、抜群の制球力があり、狙い通りにまっすぐで空振りやファウルが取れ、思う通りに変化球を操れる力のある投手だからこそ、捕手のリードの意図が如実に反映されるということもある。

 その意図を感じ取り、狙い通りにミットに向かってボールを投げ込めた。だから菅野は小林の今年の違いを感じ取れたとも言えるわけだった。

同じタイミングで若返った先発投手陣

「捕手がリードを完成するまでには10年かかる」
 こう言うのは中日の谷繁元信監督だ。

「最初はいかに投手が気持ち良く投げられるか。投手の投げたい球を軸に配球を組み立てて、そこに少しずつ自分のリードを混ぜていく。そうしてピッチャーが『あいつの言う通りに投げていたら大丈夫』と思うようになるのには10年くらいかかるんです」

 阿部にしても投手陣の信頼を得るまでには、それに近い年月を要した。

 そう考えると今季の小林は、阿部に代わってレギュラー捕手として投手の信頼を得るその一歩を歩みだしたばかりかもしれない。

 ただ、この捕手が何かを持っていると感じるのは、この「世代交代」の歯車が動き出したときの周囲の環境の変化にある。

 今季の巨人の開幕ローテーションはベテランの内海哲也や杉内俊哉に代わり、同期の菅野に高木勇人、そして歳下の田口麗斗や今村信貴と急激に若返った布陣になっていることにある。

 これもまた「世代交代」の歯車が動く、一つのきっかけなのかもしれない。

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著者プロフィール

1957年埼玉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。91年オフから巨人キャップとして93年の長嶋監督復帰、松井秀喜の入団などを取材。2003年に独立。日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、雑誌、新聞で活躍。著書に『ホームラン術』『松井秀喜の言葉』『10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦』『長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14』などがある。

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