「ベトナムのメッシ」コンフォンとは? 若きスターの素顔と周囲の期待を読み解く

宇都宮徹壱

ベトナム国民が注目するコンフォンの移籍

水戸に加入したグエン・コンフォン。彼の移籍はベトナムでも大きな話題となっている 【宇都宮徹壱】

 第一印象は、とてもシャイで小柄なベトナムの若者だった。グエン・コンフォン、21歳。今季、J2の水戸ホーリーホックに期限付き移籍してきた、ベトナムの若きスター選手だ。「ベトナムのメッシ」という通名でピンと来る方も多いかもしれない。実はコンフォンは、今年1月に行われたAFC(アジアサッカー連盟)U−23選手権で鎖骨を折るアクシデントに見舞われた。大会後、クラブには合流したものの、試合や本格的な練習にはまだ参加できていない。

 そんなわけで、今のところ日本国内ではまだ「知る人ぞ知る」存在でしかないコンフォン。しかし本国ベトナムでは、今回の移籍はかなり注目されている。どれくらい注目されているかというと「水戸がベトナムで最も有名なJクラブになるくらい」だという。教えてくれたのは、Jリーグ国際部の小山恵氏。アジア戦略の業務でアジア諸国を行き来している小山氏に、まずは「ベトナムのメッシ」の影響力について語ってもらおう。

「去年の12月にホーチミンで移籍会見を行ったのですが、ベトナムの大手放送局のすべて、100人以上のメディアが取材に来ましたね。それからフェイスブックでも、水戸やJリーグのページにはベトナムからのアクセスが急激に増えていて、水戸のページに『いいね』をしている半分くらいはベトナム人と思われます。けがのリハビリのため、まだJリーグデビューを果たせていませんが、ベトナム本国では毎日のようにコンフォンの話題が報じられていますよ」

 繰り返しになるが、コンフォンはまだJリーグのピッチには立てていない。それでも(あるいは、それゆえに)周囲の彼に対する期待は高まるばかりだ。水戸の沼田邦郎社長は「ベトナムの人たちが茨城や水戸のことを知ってくれれば、地域貢献にもつながる」として、かつて韓国代表のパク・チュホがつけていた「出世番号」の16番を与えた。また茨城県も、ベトナムのスーパースター加入による観光客の増加や、常陸牛などの地元ブランドの宣伝に生かしたいと考えているようだ。

 どうにもピッチ外の話題ばかりが先行している「ベトナムのメッシ」。その素顔を伝えるべく、3月初旬、およそ30分のインタビュー取材をさせていただく機会を得た。「おかげさまで、けがのほうは良くなっています。医者の診断では(プレーできるのは)2カ月後くらい」と笑顔で語る当人に、まずは新天地の印象から尋ねてみた。

5000人のセレクションから見いだされて

「水戸はのどかで静かで、とても良いところですね。ホーチミンあたりだと、とにかくファンから声をかけられたり、写真を撮られたりして、気が休まることがなかった。こっちでは落ち着いた生活ができるので、とても気に入っています。食べ物については、何でもおいしくいただいています。特に気に入っているのがビーフ(常陸牛)ですね。チーム内で最も親しくしてくれるのは、コージ(本間幸司)。日本語で分からないことは、簡単な英語でいろいろ教えてくれるので助かっています」

 自らのストロングポイントについて「ボールキープと足元の技術」と語るコンフォンは、ベトナムのホアン・アイン・ザライ・アーセナルJMGアカデミーの出身だ。ここは地元の財閥企業ホアン・アイン・ザライが、アーセナルと提携して作ったアカデミーで、グエン・コンフォンはその1期生。彼を含む「黄金世代」の多くは、同アカデミーの教育を受けており、「ベトナムのピルロ」の異名を持つグエン・トゥアン・アイン(横浜FC)もここの出身だ。

「アーセナルJMGアカデミーは、ベルギー、ガーナ、マリ、エジプト、コートジボワールにあります。以前はタイにもあったけれど、アジアでは今はベトナムだけですね。セレクションには5000人が参加して、合格したのは僕を含めて18人。全寮制のアカデミーで、最初はホームシックに苦しみました。何しろ12歳の子供でしたから。(一日のスケジュールは)朝食後、まず授業があって、11時に午前の練習。昼食をとって休息して、15時から午後の練習。夜は英語とフランス語の勉強でした」

 このアカデミーで特徴的なのは、サッカーのトレーニングだけでなく、語学学習にも力を入れていることだ。これは言うまでもなく、将来的に選手を海外のクラブにスムーズに移籍させるためである。とはいえ、一足飛びで欧州というのはもちろん現実的ではない。19歳でアカデミーを卒業すると、まずはトップチームのホアン・アイン・ザライFCでプレーし、さらに日本や韓国といったアジアのリーグで実績を積んでから、欧州に売り込むことをクラブ側は考えているようだ。

「水戸への期限付き移籍はクラブが決めたことですが、自分でも日本でプレーしたいと思っていました。アジアの中でのトップレベルにあるJリーグは、レ・コン・ビンもプレーしていたし、多くのベトナムの選手にとっても憧れの舞台ですね。(実際にJリーグの試合を見て)展開が速くてフィジカルが強いと感じました。それとベトナムの国内リーグに比べて、スプリントと運動量が多い。早くけがを治して試合に出たいけれど、実際にピッチに立ってどれだけ通用するかは、やってみないと分からないというのが正直なところです」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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