松山、石川、岩田がゴルフで伝える思い 一口で語れない、それぞれの「3.11」
「僕のプレーを見た人が、何かを思ってくれれば」
その翌日、岩田は自らのブログでファンにこう呼びかけていた。
「沖縄から仙台に行く飛行機に乗ってるときに地震が起きて、沖縄に引き返してきました。僕は無事で家族も無事でしたけど連絡がなかなかとれなくて、今は停電らしく水もでないらしいです。友人とか連絡がとれない人がいっぱいいます。まだまだ余震などが続いてるらしいので、準備できることはしておきましょう。千葉、首都圏の人達は節電にご協力ください。マンションなどは電気が止まると水が出なくなるらしいので水をためておきましょう」(原文ママ)
普段は無口な岩田も、居ても立っても居られない気持ちでこの文章をつづったのだろう。
仙台空港の駐車場に停めていた愛車は津波に飲み込まれてしまったが、徐々に情報が入るにつれて悲劇はもっと深刻なものになってきた。
大学ゴルフ部の同級生の奥さんが亡くなり、そのお子さんが行方不明になっていた。
岩田が仙台の実家に戻ったのは、4月に入ってからだった。「帰れば、僕ひとり分の水が必要になる」と考えたからだ。そして、家に帰った直後に震度6の余震に見舞われた。
もの凄く怖かった。
しかし、この何倍もの恐怖を味わった人々に岩田は思いを馳せた。
「夜、寝る前とか、思い出すたびに泣きそうになります」と岩田はぽつりと言った。そして、「僕のプレーを見た人が、何かを思ってくれればいいなと思います」との思いで試合を戦い続けている。
全英オープンからの強行出場に込められた思い
3月20日の夜に帰国した松山は、そのまま車で仙台の寮へ向かった。「寮の部屋はぐちゃぐちゃだったし、道路もデコボコ」(松山)だったが、一夜が明けて目にしたのは、想像を絶する惨状だった。たびたび余震も襲う。
松山は思った。「こんなときにゴルフをしていてもいいのだろうか」と。そして「マスターズ出場辞退」が頭の中をよぎった。
その気持ちが報じられると、大学に励ましの電話、メール、FAXが殺到した。マスターズへ行くな、という言葉はひとつもない。すべてが激励のメッセージだった。
「ここまで応援されているとは思わなかったし、頑張って行こうと思いました」と、3月24日の渡米時に松山はコメントしている。
ただ、マスターズ開幕前に行われる公式記者会見に出席した松山は、「このような困難の状況で、マスターズに出場することが許されるのか、この場にいても心の中が揺れているのが正直なところです」とも語っていた。
2013年にプロ入りした松山は、あっさりと賞金王の座を射止めると、翌年から米ツアーを主戦場に選び、日本での試合出場は年間2試合だけになってしまった。昨年、松山は、そのうちの1試合に7月末に行われたダンロップ・スリクソン福島オープンを選んだ。前週に行われていた全英オープンから福島入りして、ほとんどぶっつけ本番という強行スケジュールの試合になった。
この大会の前身は、ローカルトーナメントとして19年間の歴史がある福島オープンで、20回を迎えた2014年にツアーに昇格し、現在の名称になった。震災による壊滅的な被害から立ち直ろうとする地元は、いまだに風評被害にも悩まされている。「ゴルフの力で福島を元気に」という願いも込めてのツアー昇格でもあった。
「いつかこの大会でプレーしたいと思っていた」という松山の脳裏には、初めてのマスターズ出場へと背中を押してくれた東北の人々への恩返しの気持ちがあったのではないだろうか。