日本代表GKが背負ってきた重い「1」 広島の背番号にまつわるストーリー

中野和也
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伝説の番号「7」と「8」

全員が日本代表経験者という広島の背番号1。現在は林卓人が背負う 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 背番号には、全て物語が存在する。

 たとえば、サンフレッチェ広島の7番と8番は、どちらも伝説の番号だ。ボランチの重要性を世に知らしめた男、森保一(現広島監督)の7番を受け継いだのは森崎浩司。さまざまなアスリートを苦しめ、時には引退に追い込む「オーバートレーニング症候群」と戦いつつ、重要な試合ではことごとくゴールを決め、2012年の初優勝にも大きく貢献した名手だ。

 8番をつけるのは、浩司の兄である森崎和幸。パス成功率は常に90%を超える“マエストロ”で、3バックから攻撃時には4バックになる「可変型システム」の事実上の創始者。その偉大なる知性の象徴である8番を広島で最初につけたのが、Jリーグ日本人選手初ゴールを記録し、1994年のファーストステージ優勝時には森保一と画期的なダブルボランチシステムを担った風間八宏(現川崎フロンターレ監督)だ。

 高木琢也、久保竜彦、高萩洋次郎、浅野拓磨と並ぶ10番や、藤本主税が“中興の祖”となり佐藤寿人が大輪の花を咲かせた11番、田中マルクス闘莉王、サンパイオ、青山敏弘と“闘将”の系譜となる6番など、それぞれ語ればキリがない。

 だが、その広島の背番号の中で最も重いのは、やはり1番だろう。前川和也、下田崇、西川周作(現浦和レッズ)、林卓人と、広島の1番を背負った全員が日本代表経験者。こんなすごい歴史を持つ背番号は、広島どころか他のクラブにも存在しないのではないか。
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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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