GK櫛引政敏を強くした3人のライバル 鹿島での新たな挑戦、そしてリオ五輪へ

安藤隆人

2度目の選手権で注目され、6月に清水加入を発表

2度目の選手権では、準決勝でPK3本を止める活躍を見せた櫛引(12) 【写真は共同】

 絶対的な守護神として迎えた第88回高校選手権。櫛引は持ち前の高い能力をフルに発揮し、青森山田のゴールマウスを守り続けた。準決勝の関西大学第一(大阪)戦では、鋭い反応と巧みなセービング技術を駆使し、幾度となくピンチを防ぐと、迎えたPK戦では3人のシュートをストップ。「キッカーの助走の角度を見てから飛んだ」と語る落ち着きぶりで、チームを初の選手権決勝に導いた。

 決勝こそ、山梨学院大附属の碓井鉄平(現・長野パルセイロ)に鮮やかなミドルシュートを決められ、0−1の敗戦を喫したが、選手権準優勝チームの正GKとして一気に注目度が高まった。周囲の環境は劇的に変化し、多くのJクラブから練習参加の問い合わせが舞い込むようになる。それぞれのチームで練習参加をする中、櫛引の考え方も大きく変化した。

「一気に注目されるようになったと実感しています。自分のパフォーマンスをしっかり出せる、波のない選手になりたい。そして、プロで活躍できる選手になりたい」

 あまり大きなことを口にしない櫛引が、はっきりと目標を掲げた。「決断が早ければ早いほど、プロにいくチームでの自分の目標が明確にできるので、早めに決めたい」と、高3の6月には清水加入を発表。それが成長の加速を早めた。

「個人的にはキャッチが未熟なので、しっかりさせたい。あと、キックをもっと成長させたい。GKは攻撃の第一歩なので、近くでビルドアップをするだけでなく、相手陣内のスペースに走り込めるような、長いボールを一発で送れるようにしたい」(櫛引)

 次々と櫛引の口から出てくる自身の課題についての言葉。あっけらかんとした性格の彼の心に、大きな火がともった証拠だった。

大きなベースとなった高校の3年間

昨シーズンはシーズン途中で守護神の座を明け渡した。だが、櫛引がその歩みを止めることはなかった 【写真は共同】

 櫛引の変化を湯田コーチも感じ取り、さらなる刺激を与えた。

「飛翔ならもっとキックが飛ぶぞ!」
「こんなことをしていたら、簡単に追い抜かれるぞ!」

 湯田コーチは同時期、関東第一高のGKコーチも兼任しており、櫛引の1学年下である渋谷飛翔(現・横浜FC)も指導していた。渋谷もまた188センチの高さを誇り、年代別代表にも名を連ねる存在で、湯田コーチは卒業した笹森の代わりに、渋谷を櫛引の競争相手に仕立てたのだった。

「あの2人に共通しているのが、『能力がある』こと。能力がない選手は理論だけで育てられない。彼らは能力があったからこそ、それをいかにスムーズに発揮できるかが指導の一番のポイントだった」

 湯田コーチからの“激励”を受け、櫛引はおごることなく、2年の時と変わらぬ姿勢でトレーニングに打ち込んだ。最後の選手権こそ、優勝をした滝川第二に3回戦で敗れたが、青森山田で過ごした3年間は、櫛引の中で大きなベースとなった。

 清水加入後の櫛引は、プロの厳しい世界で浮き沈みを経験した。特に昨シーズンは守護神の座を奪われ、チームは出だしのつまずきから立ち直れないまま、J2降格となった。だが、GK杉山力裕とのポジション争いと、これまで培ってきた経験により、櫛引がその歩みを止めることはなかった。

リオ五輪で羽ばたくために

AFC U−23選手権は通過点。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 運もあるかもしれない。だが、常に自分の前に立ちはだかるライバルと抜きつ抜かれつの競争をしてきたからこそ、櫛引は強くなった。決してライバルの後塵を拝し続けるわけではなく、常にリードしているわけでもない。明日にはどう転ぶか分からない状況下でも、櫛引は高校3年間の経験をベースに、どんなときも着実に前進してきた。だからこそ、清水でも、U−23日本代表でもチャンスが巡ってきたし、それをがっちりとつかみ取ることができたのだ。

 前進を止めない教え子に対し、高校時代の恩師である黒田監督、湯田コーチはそれぞれこうエールを送る。

「まだまだ足りない。運良く鹿島に行ったことと、代表に呼んでもらったこと。清水で試合に出場できない中、『今ここでやらなきゃサッカー人生終わる』と思って臨んだのが、AFC U−23選手権だった。間違いなく、危機感が彼を大きくした。今回の優勝と鹿島移籍で、彼もさらに視野が広がったと思う。もっと上を目指して挑戦してほしい」(黒田監督)

「曽ヶ端(準)選手の後釜になるだけの能力はある。でも、曽ヶ端選手が何年間も正GKの座を明け渡していないので、奪い取る作業は生半可なことではない。曽ヶ端選手が年を重ねたことでポジションを奪えたのではなく、今年の早い段階で実力によってポジションを奪い、それを受けて曽ヶ端選手がまたポジションを奪い返しにいくみたいな、『本当の力勝負』をしてほしい」(湯田コーチ)

 AFC U−23選手権の活躍で、すべてが視界良好となったわけではない。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために。櫛引はこれまで通り、激しい競争の中に身を投じ続けるだろう。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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