ヤクルト・山田、新背番号で始動 受け継がれる燕のナンバー“1”

週刊ベースボールONLINE

番号の価値を高めた青木と山田の実績

青木から山田へ背番号1が手渡された 【写真=BBM】

 青木は外野のレギュラーとなり新人王にも輝いた2年目の06年にシーズン200安打を達成し、そこから6年間3割を維持し続けたが、背番号が変わったのは10年だった。それまでに首位打者2度、最多安打2度など実績は十分。名実ともにチームの、日本球界の顔だった。それでも球団も自身も納得して受け継ぐまでには6年もの時間が必要だった。

 そんな流れもあってか、山田の背番号変更に球団は厳しかった。14年に実績を残したことで「1に変更か!?」と世間は騒いだが、「もう1年成績を残してから」と待ったをかける。山田自身「いつか着けてみたい」と言いながらも「まだ成績を残したのは1年だけ。毎年結果を残さなくては意味がない」と言い続け、その思いを封印した。

 1年目から背負った23番にももちろん愛着はある。青木が背負っていたことで23の価値も高まり、意気に感じていたことも間違いない。だからこそ背番号の話は封印し、結果を求め続けたシーズンにした。それが15年シーズンだった。

 だが、そんな中でも自分のことはいつも二の次だ。「優勝したい」と繰り返し、レギュラーメンバーでは最年少ながらセンターラインの一角、セカンドという大事なポジションを守り続け、塁に出れば果敢に次の塁を狙い、チームバッティングを貫く。そして、だからこそこの男には“ミスター”の資格がある、とも言える。
 チームメートからもかわいがられ、屈託のない笑顔と飾らない言葉でファンの心を惹きつけて離さない山田の存在は、いつしかチームの象徴になっていった。誰もが認める中での背番号変更は、山田に自信と責任感を強くさせた。

「プレッシャーに負けないように頑張りたいと思います」

 契約更改後の会見場で、青木から手渡されたユニフォームを見て感じた本音だ。ひたむきに努力を続け自らの力でつかんだものだからこそ、その重みを強く感じている。

 青木は背番号1の初年度、史上初となる2度目のシーズン200安打を達成している。15年にトリプルスリーを達成した山田はプレッシャーをはねのけ、どんな結果を残すのだろうか。

 これまで背負ってきた名だたる先輩たちの背中を超えるための大事な1年目がスタートした。チームの連覇、そしてまだ誰も達成したことがない2度目のトリプルスリーへ。新・ミスタースワローズの進化から目が離せない。

2/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント