山縣亮太が過ごした「辛抱の時間」 短距離界に足りない切磋琢磨の意識

スポーツナビ
 2012年のロンドン五輪陸上男子100メートル予選で10秒07という日本人選手の五輪最高記録を出し、準決勝に進出した山縣亮太(セイコーホールディングス)は度重なるケガに苦しんでいた。復帰しては離脱を繰り返し、もう3年半近く自己ベストを更新できていない。2015年の目標としていた世界選手権の出場も、ケガのためかなわなかった。ロンドン五輪以降の競技生活は「辛抱の時間だった」と、山縣は振り返る。

ケガとの戦い、日本陸上界の問題点について山縣亮太が語ってくれた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 これまでコーチをつけず、独自の練習で走りを突き詰めてきた山縣だったが、現在は大学時代の先輩、同い年のマネージャーとともにチームでトレーニングを行っている。1人で理想の走りを追い求めてきたからこそ、見えてきたものもあるのだろう。世界の舞台で勝つために、日本人選手ひいては日本の短距離界に何が足りないのか。山縣は自身の現状を語りつつ、その問題点について鋭く指摘してくれた。

周りの力に助けられた

――社会人1年目ですが、現在の練習体制はどのようになっているのでしょうか?

 今は母校である慶応大学のグラウンド(神奈川県横浜市)を拠点にして、毎日練習をしています。練習メニューは、僕を含めた3人で話し合って、筋力トレーニングやランのトレーニング、ウォーミングアップに取り入れているサーキットのメニューなんかを詰めています。シーズンを通して「この時期は1日これくらい走りたいね」というところを出して、それに合ったメニューを自分で考えて組んでいるという感じですね。

――コーチはどなたが担当しているのでしょうか?

 古賀友矩(とものり)さんといって、水泳の古賀淳也選手の弟さんがコーチを担当してくれています。彼は大学の競走部の先輩で、今はトレーナーの資格を取るために専門学校で勉強しつつ、僕の指導をしています。それと同い年のマネージャーの方と、3人で話し合って練習メニューを考えていますね。

――今季はケガもあり苦しいシーズンだったと思いますが、そうしたコーチや支えてくれる方がいるおかけで助けられた部分もあったのではないですか?

 今シーズンはケガの治療に専念していた部分もあったので、どうしても結果が出なかった。やっぱりそういうときは僕も気持ちが沈みますし、マネージャーやコーチも同じくらい気持ちが沈んだと思うんです。それでも「来年があるし、今はしっかり自分のやるべきことを見据えてケガを治そう」とずっと励ましてくれたんですよ。本当にそういう周りの力に助けられました。「今はケガを治す時期なんだ」というのを自分の中であらためて思うことができたし、支えになりましたね。

2015年はケガもあって、満足いく結果を残せなかった。そのぶん周りの力に助けられたという 【スポーツナビ】

――昨年9月の早慶対抗戦の200メートルで復帰し21秒05、全日本実業団対抗選手権の200メートルは20秒89で2位、10月のわかやま国体100メートルは10秒36。久しぶりにレースに出て、感触としてはいかがでしたか?

 レースの後半がきつかったですね。いつもだったらスピードが落ちないところで落ちるんですよ。「やっぱりブランクがあるな」というのは正直感じました。全日本実業団のときは後半に抜かれちゃったんですけど、それで練習不足だなと。早慶対抗戦も21秒かかりましたが、国体では100メートルで距離が短くなったのもあって、うまくまとまったかなと思っています。向かい風1.1で10秒36なので、戻ってきているなという感じでシーズンが終わっちゃっいましたね。

ケガに対してどう向き合うか

――ケガをしたときや、記録が出ないときはやはり気持ちが落ち込むと思いますが、そういうときはどうやって自分を奮い立たせるのですか?

 自分の中では「自分が一番足が速い」と思っているので、とにかくそれを信じ続けてやることと、それを周りから言ってもらうことですね。周りから「一番足が速いよ」と言われると、それだけで自分もやっぱりそうなのかなと思ったりできるし、周りもけっこう言ってくれるので(笑)。

――それは助かりますね(笑)。この3年間くらいで、ケガが多くなってしまった原因はどこにあるのでしょうか?

 一言でいうと自己管理不足です。ケガをするそのときまでは自分はケガをしないと思っているので、練習を積み過ぎてしまうとか、ケアを怠ってしまうとか、気が抜けてしまったときに食事量が減ってしまうとか、睡眠が減ってしまうとか、そういうことの積み重ねで起こるのかなと思いますね。

――負傷の中で一番大きな問題になったのは、2013年9月に痛めた腰ですか?

 そうですね、長かったです。正直走れないほどではなくて、それこそ2014年はずっとそういう状態で1シーズンやってきたんです。良くなかったのは、やっぱり治しきらないと練習でも限界を突破できないし、レースでも安全にというか、守りに入ってしまう。自分の限界値を高める練習ができなかったことが、記録を向上させられなかった1つの大きな要因じゃないかなと思っています。肉離れとかと違って、腰だと中途半端に練習ができるので、それが逆にいけなかったなと。ただ、今はウエイトトレーニングをやるようになったり、これをやればこの腰の痛みがとれるという治療法が見つかったんですね。だから、治療とトレーニングをやっている間は全然問題なく走れています。

――ケガもあり、自己ベストを3年ほど更新できていませんが、やっぱり焦りはありますか?

 ものすごく考えましたよね。焦るし、トレーニング方法も今までウエイトをやってこなかったけどやったほうがいいなとか。そう思って今はやっていますし、本当にいろいろなことを考えました。

自己ベストを3年半更新できず、「いろいろなことを考えた」と山縣は語る 【写真:ロイター/アフロ】

――いろいろとは具体的に?

 まず、ケガに対してどう向き合うかというのはすごく考えました。当然ケガをしないための取り組みは大事なんですけど、ケガをしてしまっている以上、自分は今何をすべきなのか。他の選手の活躍を見て焦る気持ちもあるし、練習しなければいけないと思うんですけど、今はどんなに時間がかかってもケガを治して万全な状態にする。そうじゃないと練習も積めないし、勝てるものも勝てない。その都度、自分に言い聞かせながらやっていました。当然速くなるためにはどういう練習が必要かというところも考えましたね。

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