元世界王者ジュベールが抱く野望 「仏スケート連盟の会長になりたい」

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もう競技会には出ない

指導者としての活動について尋ねると、真剣な表情に変わった 【スポーツナビ】

――コーチとして活動することを自分自身ではどう思いますか?

 自信を持ってコーチングできていることに、自分自身も驚いています。とても面白い仕事です。僕の教え子が日々成長していくのを見ると素晴らしい気持ちになれますし、誇りも感じています。今後も続けていくつもりです。

――現役時代からコーチになりたいと思っていたのですか?

 そうです。ずっと言っていたことですが、かねてから世界チャンピオンになり、そしてコーチになりたいと思っていました。

――コーチを志した理由は?

 フィギュアスケートは私が情熱を傾けてきたことだからです。フィギュアが大好きですし、とてもよく知っている競技なので、それを自分のものだけにしたくなかった。素晴らしいフィギュアスケートという競技に生涯関わっていたいんです。

――現在はアイスショーとコーチ業をメーンに活動されているということですが、競技会にはもう出場しない?

 もう競技会には出ません。これまでレベルの高い試合に数多く出場してきて、体も疲弊しています。ジャパンオープンではフリープログラムを滑りますが、それもすごく難しい状態です。それに、今自分が置かれているポジションに満足していますしね。

――ペアも含めて現役は完全に引退ということ?

 そうです。練習は好きですし、ショーのために練習もしますが、競技会用に追い込むようなことをするつもりはもうありません。

ミスも今となっては良い思い出

――シングル時代の一番良かった思い出は?

 たくさんあるなぁ(笑)。1つは07年に東京で行われた世界選手権で優勝したことです。勝利だけでなく、日本のファンがつくってくれたアリーナの雰囲気も最高でした。それから、02年の欧州選手権も良い思い出です。この大会に出るのは初めてで、成績は3位だったのですが、そのとき優勝したのがアレクセイ・ヤグディンでした。彼は大好きなスケーターだったので、表彰台に一緒に立てて本当にうれしかったですね。3位に入ったことで、ソルトレイクシティ五輪への出場を決めた大会でもあります。

一番の思い出と語る07年世界選手権では、2位の高橋大輔(左)、3位のステファン・ランビエールと共に表彰台に上った 【Getty Images】

――逆に悔しい思い出は?

 悔しい思い出もたくさんありますよ(笑)。1つ挙げるなら06年のトリノ五輪ですね。五輪用のフリーはあまり良いプログラムではありませんでした(結果は6位)。その後の世界選手権では、以前もやった映画『マトリックス』を滑ったんですけれど(結果は2位)、五輪の前にプログラムを変えるべきだった。重大なミスでしたね。(変更していれば五輪で)表彰台に上れる可能性もあったと思います。でも、そんなミスも今となっては良い思い出です。強くなるには成長しないといけないですし、その上でミスは必要だと思います。

――今後はどんなことをしていきたいですか?

 まずは良いコーチになりたいです。スケート連盟にも貢献したいと思っています。もしできるならフランスのスケート連盟会長をやりたいと思っているんです。フィギュアスケートは私がやってきたスポーツですし、彼らのことも好きですから。フィギュアスケート界の人々を助けたいという思いがあって、その上で会長になれるならうれしいですね。

――アイスショーへの出演も続けますか?

 もちろん。でもそんなに長くはやらないと思います。今は若く強いスケーターがたくさんいますから。来年ももしできそうならショーをやるつもりです。

(取材・文 大橋護良/スポーツナビ)

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