浦和との差別化から生まれた大宮スタイル J2・J3漫遊記 大宮アルディージャ

宇都宮徹壱

「野球の街」にJクラブが誕生した背景

JR東日本管内で乗車人員が8番目に多い大宮駅。今ではすっかり「Jクラブのある街」となっている 【宇都宮徹壱】

 大宮アルディージャのホームタウン、大宮。この街は私にとって「通り過ぎる街」というイメージが強い。東北新幹線で仙台に行くときも、上越新幹線で新潟に行くときも、必ず通過するのが大宮駅。NACK5スタジアム大宮での試合を観戦する以外、まず下車することはないと言ってよいだろう。なじみはあるのだけれど、実はよく知らない。大宮在住者でなければ、そうした印象を持っている人は決して少なくないのではないか。

 当連載で大宮アルディージャを取り上げるにあたり、まず知りたいと思ったのが、サッカーの地政学から見た大宮の位置付けである。言うまでもなく、同じさいたま市には浦和レッズという強大な存在がある。これまで「埼玉県のサッカー」といえば、浦和を中心に語られることが圧倒的に多かっただけに、地元のサッカーファンが大宮をどう見ているのか、かねてより気になっていた。そんな私の疑問に答えてくれたのは、長年にわたり『浦和フットボール通信』というフリーマガジンを発行してきたコピーライター、豊田充穂である。

「大宮というのは、まず交通の要衝であり、完全に商業エリアですよね。それに対して浦和は、昔から文京エリアと言われていて、なおかつ行政の街でもある。自ずとカラーが異なりますね。スポーツに関して言えば、浦和はサッカー、大宮は野球、熊谷はラグビーというすみ分けが、だいたい昭和40年代くらいには確定していたと思います。浦和南や(浦和)市立といった浦和勢が毎年のように選手権に出ていた頃、高校野球では大宮高や大宮工業高といった大宮勢が強豪として知られていました。NACK5スタジアム大宮の隣に、県営大宮公園野球場がありますよね。私もよく、家族に連れていってもらいましたが、あの球場は長嶋茂雄が高校時代(佐倉第一高/現佐倉高)に唯一のホームランを放っていることでも有名なんですよ」

 思わぬトリビアが得られたが、いずれにせよ埼玉県民にとっての大宮が「野球の街」として強く認識されていることは理解できた。そこで新たな疑問が浮かんでくる。なぜ大宮に、埼玉県で2番目のJクラブが誕生したのだろうか? サッカーよりも「野球の街」という印象が強く、人気と実力を兼ね備えたビッグクラブがすでに近隣にあり、しかもNTTという企業カラーが強い(前身はNTT関東)。大宮がJリーグに加盟した1999年当時は、実際こうしたネガティブなイメージが先行していた。にもかかわらず、浦和一色だった埼玉において、わずか10年足らずで大宮が一定のポジションを獲得することができたのはなぜなのか? さっそく、その背景を探っていくことにしたい。

当時の大宮に残された道

クラブ黎明期の99年から03年まで大宮のGMを務めた清雲。現在は法政大の教授 【宇都宮徹壱】

 最初に話を聞いたのは、現在、法政大学スポーツ健康学部教授の肩書を持つ、清雲栄純である。かつてハンス・オフトの副官として『ドーハの悲劇』(93年)に立ち会い、その後はジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督やチーム統括部長を歴任後、99年から2003年まで大宮のGMを務めている(その後、12年までトータルアドバイザー。現在は千葉の取締役)。大宮の地で新クラブを定着させるにあたり、清雲の頭に浮かんだキーワードは「共存」であった。

「当時、すでに浦和は巨大な存在になっていましたよね。『浦和』という地域というよりも、日本、さらにはアジアを視野に入れた活動をしていた。それに対して大宮は、あくまでローカルなクラブですし、スタジアムも小さい。ですからライバルとしてぶつかるというよりも、むしろ同じ地域で共存できるのではないかと考えました。同様のことは他競技に対しても言えます。たとえばNACK5スタジアム大宮を拡張するのであれば、隣の野球場をつぶすことになってしまう。でもサッカーだけが盛んになればいいという話ではない。野球をはじめ他のスポーツとも共存しながら地域が盛り上がっていければいいと考えました」

 とはいえ共存するためには、まずはクラブの存在を地元の人々に認識してもらう必要がある。清雲は10人ほどのスタッフとともに、駅前の飲食店に一軒一軒出向いてはクラブのポスターやフラッグを掲出してもらえるように頼み込んだ。当時、アルバイトから社員になったばかりの望月大亮(事業本部 ホームタウン推進担当部長)はこう回想する。

「まずは地域との関係づくりからスタートでしたね。大宮の商店街って、年配の商店主の方が多いんですよ。それに対して私は新卒の小僧でしたら、最初はなかなかお話を聞いてくれませんでしたね。『ウチはレッズを応援しているから』とか『どうせNTTのチームなんでしょ?』とか。そのたびに『私はNTTの社員ではありませんし、アルディージャは地域のためのクラブなんです』とはっきり申し上げてきましたね」

 望月は「マーケティングの基本は差別化」と語る。つまり、浦和がやらなかったこと、できていないことを積極的にやるしか、当時の大宮に残された道はなかったのである。彼らにとって幸運だったのは、浦和はすでに絶大な人気を誇っていたため、地道なホームタウン活動をする必要がなかったことだ。先達が注力していなかった部分で努力を重ねた結果、大宮駅前の商店街は次第にオレンジ色の度合いを強めていくようになる。

「駅前の風景が変わり始めたのは、02年くらいからですかね。J1に昇格したとき(05年)には、ほぼ今と同じ感じになっていたようです。実は私、03年から4年間、米国で別の仕事をしていたんです。それで07年に大宮に戻って来たんですが、すっかり駅前がオレンジ色になっていて本当にうれしかった。もちろん、私が一時抜けていた期間に他のスタッフが頑張ったがゆえの成果です。それでも、99年に自分たちがまいた種が、こういう形になったんだっていう……。感慨深かったですね」(望月)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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