首位独走を支える2人の偉大なGK J2・J3漫遊記 大宮アルディージャ

宇都宮徹壱

躍進の理由をあえてGKに求めてみる

11シーズンぶりとなるJ2の舞台で首位を独走する大宮。その強さの秘密をGKに求めると…… 【宇都宮徹壱】

 試合前のNACK5スタジアム大宮に、背番号1と21の選手が登場する。この日もスタメンでゴールを守る加藤順大、そしてバックアッパーの塩田仁史だ。「オオオオオォォォ〜オイ!」の掛け声、そして両選手へのリスペクトを込めたコールとチャントがスタンドから沸き起こった。加藤のチャントはフランス・ギャルの『夢見るシャンソン人形』、そして塩田のそれはチュリサスの『ラスプーチン』がオリジナル。堂々たる体躯の加藤がシャンソン人形で、人格者として知られる塩田が帝政ロシア末期の怪僧というのは、なかなかに面白い。両者は互いに目を合わせることなく、黙々とキャッチングやパントキックの精度を何度も確かめていた。

 大宮アルディージャの勢いが止まらない。第29節終了現在、21勝4分け4敗。2位のジュビロ磐田に16ポイント差で首位をひた走っている。大宮といえば、J1時代は毎年のように降格の危機に瀕しながらも、最後はギリギリのところで残留を決めてしまう「残留力」でつとに有名であった。残念ながら昨シーズンは16位に終わり、05年から10シーズン守りぬいたJ1の座からついに陥落。しかしJ2での新たなシーズンが始まると、サポーターは新たな楽しみを見いだすようになっていた。

「こんなに勝ち続けている大宮なんて、J1無敗記録(21試合)を達成した13年以来ですからね。あの時は7月に失速しましたが、今季はずっと首位を堅持しています。ずっと応援いただいている大宮の商店街の方々も『こんなに勝てるんだったらJ2も悪くない』なんて冗談を言っていますが(笑)、もちろんわれわれの目標はJ2優勝と1年でのJ1復帰です」(大宮の広報スタッフ)

 今季の大宮の強さを考察するのであれば、さまざまなアプローチが可能であろう。だが本稿ではあえて、GKにフォーカスすることにしたい。周知のとおり、加藤は浦和レッズから、塩田はFC東京から、いずれも出場機会を求めて大宮にやって来た。両者はかねてより実力と経験は折り紙つきであり、いずれもサポーターに惜しまれながら愛するクラブを後にしている。そんな加藤と塩田が、J2優勝・J1復帰を目指す大宮で切磋琢磨(せっさたくま)していること自体、ある種の奇跡のように感じられてならない。大宮の現在の強さを支えているのは、実のところ、実力派が競い合うGKのポジションにあるのではないか。そんな仮説に基づきながら、さっそく取材を始めることにしたい。

夢にも思わなかった大宮でのプレー

チームの盛り上げ役としても定評のある加藤(中央)。今季、浦和より出場機会を求めて移籍してきた 【宇都宮徹壱】

 大宮に移籍して、プロ生活初の背番号1を背負い、スタメン出場記録を着実に伸ばしている加藤順大。今季は自信あふれるビッグセーブと、ミスをすぐにリカバーするメンタルの強さで、すっかり正GKとしての風格が漂うようになった。そんな彼も、浦和でプロデビューした11年6月11日のことは、今でも忘れることはない。トップ昇格から9年目でようやくつかんだチャンス。くしくも、NACK5での大宮とのダービーだった。

「良い準備はできていましたし、NACK(編注:加藤が中学時代は大宮公園サッカー場)は中学時代によくプレーしていましたから、いつもと変わらずに平常心でプレーできましたね。ただ、2失点したのが悔しくて(スコアは2−2)。試合が終わって、チームメートから『デビュー、おめでとう』と声をかけられて、やっと『ああ、やっとデビューできたんだ』という実感が湧いてきました。ただあの時は、まさか大宮でプレーすることになるとは夢にも思わなかったです(笑)」

 加藤は埼玉県上尾市出身の30歳。浦和ユースを経て、18歳でトップチームに昇格した。しかし当時の浦和では、共に日本代表経験を持つ都築龍太と山岸範宏が熾烈な正GK争いを続けており、若い加藤にチャンスが巡ってくることはなかった。その後、前述したさいたまダービーを契機に出場機会を増やすと、12年にはリーグ戦全試合出場を達成。ようやく浦和の正GKの座をつかんだかに見えたが、14年にサンフレッチェ広島から加入してきた現役日本代表、西川周作にポジションを譲ることになる。

「それまで浦和から出ることは考えたことがなかったです。でも周作が入ってきて、試合に出るのが難しい状況になりました。ちょうど30(歳)目前で、サッカー人生も後半に入ることを実感していたので、必要としてくれるチームがあるなら自分の力を捧げたい。と同時に、浦和のファンの皆さんにも『加藤、頑張っているな』ということを伝えたい。そういう思いから、大宮への移籍を決断しました」

 加藤が移籍を決断した要因のひとつに、14年途中でモンテディオ山形に期限付き移籍し(のちに完全移籍)、J1昇格プレーオフ優勝と天皇杯準優勝の原動力となった、山岸の影響も少なからずあったのではないか。当人は「そうでもないです」と否定はしたものの、「僕はギシさんの背中を見てプレーしてきたから、山形でのプレーを見てモチベーションは湧きましたね」とも。やはり、まったく影響がなかったわけではなさそうだ。

 新天地である大宮については「GKのトレーニングは、とてもレベルが高いし、そこでやっていること自体に刺激を感じます」と言い切る。守護神としての役割を果たす一方で、チームの盛り上げ役としても定評があり、理想的な移籍だったことがうかがえる。最後に、浦和時代の12年以来となる、リーグ戦全試合出場を意識しているか尋ねてみると「それほどでもないです。それよりも、目の前の試合に集中しているだけですね」。言葉そのものはそっけないものであったが、秘めたる自信と確信が伝わってきた。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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