甲子園V投手は大成しないってホント? 歴代67人のその後から定説の真偽探る

ベースボール・タイムズ
 清宮幸太郎(早稲田実高)、オコエ瑠偉(関東一高)といった新たなスターとともに、例年以上の盛り上がりを見せた今年の夏の甲子園大会。白熱の激戦の末に、最後の最後までマウンドに立ち続けたのは、東海大相模高の小笠原慎之介だった。
 高校野球の長い歴史の中で、この小笠原と同じく“夏の甲子園優勝投手”の称号を手にした高校生は数多くいる。では、彼らはその後、どのような野球人生を送ったのだろうか。甲子園優勝投手のその後の進路、プロでの活躍を追うとともに、「甲子園優勝投手は大成しない」というジンクスについても再度、検証したい。

愛甲、桑田、松坂ら約半数がプロ入り

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 まずは、正確な追跡が可能な戦後、1946年以降の優勝投手のその後を見てみよう。昨年までの69大会で、2度の優勝を経験した福島一雄(旧制小倉中:47年と48年)、桑田真澄(PL学園高:83年と85年)の2人を含む67人(主戦投手に限る)の中で、現時点でプロへ進んだのは計33人いる。

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 その進路を見ると、33人中27人が高校を出た直後にプロ入り。古くは、柴田勲(法政二高→巨人)、尾崎行雄(浪商高→東映)の名前が挙がるが、ドラフト制度導入以降では、上田卓三(三池工高→南海など)、土屋正勝(銚子商高→中日など)、愛甲猛(横浜高→ロッテなど)、金村義明(報徳学園高→近鉄など)、畠山準(池田高→南海など)、桑田真澄(PL学園高→巨人など)、松坂大輔(横浜高→西武など)、正田樹(桐生一高→日本ハムなど)、藤浪晋太郎(大阪桐蔭高→阪神)、高橋光成(前橋育英高→西武)の計10人がドラフト1位指名を受け、鳴り物入りでプロ入りを果たした。

 その一方で、大卒プロ入りは西田真二(PL学園高→法政大→広島)、斎藤佑樹(早稲田実高→早稲田大→日本ハム)、島袋洋奨(興南高→中央大→ソフトバンク)の3人。大学、社会人を経てプロ入りしたのは、小川淳司(習志野高→中央大→河合楽器→ヤクルトなど)、石田文樹(取手二高→早稲田大中退→日本石油→横浜大洋など)の2人で、高校から社会人へと進んでプロ入りしたのは石井毅(箕島高→住友金属→西武)の1人のみ。その他の34人(大学在学中も含む)は、各自さまざまな事情もあってプロ入りはかなわなかった。

野手転向、バットで成功した男たち

 現時点で67人中33人がプロ入りしているが、その中には野手として結果を残した者たちも多くいる。

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 小川、西田の2人は大学在学中に野手に転向してプロ入りを果たし、金村は入団直後、柴田はプロ2年目、愛甲、吉岡雄二(帝京高→巨人など)は4年目、畠山は6年目にそれぞれ野手に転向。堂林翔太(中京大中京高→広島)はドラフトでは内野手として指名された。

 その活躍ぶりを個別に見ても、柴田が通算2018本安打&579盗塁という球史に残る大記録を残せば、金村、吉岡は近鉄の“いてまえ打線”の一員としてリーグ優勝に貢献し、畠山も98年の横浜優勝時の右の代打として存在感を発揮。愛甲は勝負強いバッティングでファンを沸かせ、小川はコーチ、監督としても手腕を発揮した。

 野手転向組は8人。もともと打撃面での評価が高かった面々がそろうが、甲子園で培った経験と精神力の強さは、バットを握っても生かされた。

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著者プロフィール

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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