北朝鮮戦で感じた佐々木監督の覚悟 日々是東亜杯2015(8月1日@武漢)

宇都宮徹壱

羽田で受けた「アウェーの洗礼」

羽田から30時間をかけて、ようやく試合会場の武漢体育中心に到着 【宇都宮徹壱】

 2年ぶり、6回目となる東アジアカップの会場は、中国の武漢。三国志のさまざまなエピソードで有名だが、重慶や南京と並んで「中国3大ボイラー」と言われるくらい、夏場は蒸し暑いらしい。もう一つの「ボイラー」である重慶では、今から11年前のこの時期に開催されたアジアカップ・中国大会で、日本が壮絶なブーイングを浴びながらグループリーグを戦った会場として知られている。なぜ真夏の時期に、あえて蒸し暑い会場を好き好んで選ぶのか。とはいえ、決まったものは覆らない。大会開幕前日の7月31日、羽田から北京を経由して武漢を目指すことにした。

 ところが今回の取材は、出だしからアクシデントに見舞われる。8時30分発のフライトが、11時00分に遅れるというのだ。カウンターで理由を尋ねると「天候が悪い」とか「北京国際空港の滑走路が混み合っている」といった答えが返ってくるのだが、どうにも要領を得ない。さらに出発時間は13時20分まで後ろ倒しとなり、いったんはボーディングとなったものの、およそ30分して機内から出るようアナウンスがあった。キャビンアテンダントに説明を求めると「分からない。私たちのせいじゃない」と片言の日本語で返されて思わず脱力してしまった。

 これを「アウェーの洗礼」と言う人もいるかもしれない。しかし私はまだ日本にいるのである。出発前にこれほどの待機を余儀なくされるというのは、それなりに長い取材経験でも初めてのことだ。その後、遅れの原因が「北京での軍事演習のため」との発表があり、あらためて今大会が「そういう国」で行われることを痛感する。結局、羽田を出たのは17時を回ってから。北京到着後、すぐに武漢行きの便を変更しなければならなかったのだが、あちこちたらい回しにされた挙句、最後の便にも間に合わなくなり、その日の夜は北京で一泊することを余儀なくされた(余談ながら、これほどひどい目に遭った日に2022年冬季五輪開催地が北京に決まったことを、私は生涯忘れないだろう)。

 その後も、さまざまなトラブルに悩まされることになったのだが、きりがないので省略。翌8月1日、11時25分発の飛行機は定刻通り2時間ちょっとで目的地に到着した。武漢に辿り着くまで、当初の予定から30時間もかかったことになる。まっとうに飛行機が飛んでいたら、おそらくブラジルまで行けたであろう時間の大半を、不安と焦燥と憤懣(ふんまん)の中で過ごしたのは、実に不本意極まりない。いずれにせよ私の東アジアカップ取材は、このようにしてスタートした。

リプレー映像を見ているかのような終盤の2失点

ゲーム終盤にカウンターとラ・オンシム(10番)による個人技の合わせ技で2失点を喫したなでしこジャパン 【写真:アフロスポーツ】

 今大会の会場となるのは、武漢体育中心(スポーツセンター)。8月9日までの9日間、男女合わせて12試合が行われる。今大会は女子からスタートし、開幕戦は北朝鮮対日本という顔合わせとなった。佐々木則夫監督は、今大会の北朝鮮をかなり警戒した上で、「この試合をどう戦うかというのが、その後の試合に大きく関わってくる」とメンバー発表会見で語っている。つまり、この試合が引き分け以上であれば、残りの2試合で大幅にメンバーを変えて多くの選手を試すこともできるが、敗れた場合はそのプランを変更する可能性を示唆したわけである。

 この日の日本のシステムは4−4−2。GK山根恵里奈。DFは右から京川舞、北原佳奈、高畑志帆、高良亮子。中盤は守備的な位置に上尾野辺めぐみと川村優理、右に増矢理花、左に杉田亜未。ツートップは菅澤優衣香と有町紗央里。対する北朝鮮は、ドーピング違反によって、カナダでのワールドカップ(W杯)への出場は叶わなかった。それゆえ、連覇のかかるこの大会(さらに言えば日本との初戦)に、しっかり照準を合わせてきていた。

 北朝鮮の先制ゴールは前半36分。ペナルティーエリア右付近で得たFKのチャンスに、ユン・ソンミが左足で低いクロスを入れて、逆サイドから走りこんだリ・イェキョンが左足ダイレクトでネットを揺らす。エンドが替わった後半には、日本もセットプレーから中央で受けた増矢が胸トラップを挟んで鮮やかな同点弾を決める。しかし後半21分、北朝鮮はカウンターからラ・オンシムが右サイドを突破。裏を取られた高畑は追いつけず、最後は中央でラストパスを受けたリ・イェキョンに勝ち越しゴールを決められる。対する日本も、その5分後に杉田が目の覚めるようなミドルシュートを決めて見せたが、なでしこが北朝鮮に意地を見せられたのはここまでだった。

 ゲーム終盤の北朝鮮の2ゴール(後半34分と36分)は、いずれもロングボールによるカウンターと10番のラ・オンシムによる個人技の合わせ技。日本の守備陣の混乱を誘発させたという意味では、さながらリプレー映像を見ているかのようだった。しかも後半の日本が、決して戦えていなかったわけではなく、むしろ追い上げムードにさえなっていた。佐々木監督は「終盤に相手の得意の形をさせてしまった」と悔やんだが、それにプラスして、日本に心理的なダメージを与えた連続ゴールだったと言える。かくして日本は、北朝鮮との重要な初戦を2−4で終えることとなった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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