“観客目線”を忘れたF1グランプリ=赤井邦彦の「エフワン見聞録」第45回
弱者を切り捨てるスポーツに成り下がったF1
FIA会長のジャン・トッド(右)と、F1界のボスであるバーニー・エクレストン。シルバーストンのグリッドに現れた2人は、今後のF1についてどう考えているのか? 【LAT Photographic】
成長し過ぎ、これ以上の成長に危機感を覚えるあまり、次々と採用した規制が、F1グランプリをF1グランプリでなくしつつあるという現実。その現実の歪(ゆが)みが見え隠れする。
F1グランプリの歪みは、すべて経費高騰に始まったと言っていい。特に1990年代から始まった技術の先進開発が金食い虫だった。次々と登場する先進技術。それを際限なく採用するチーム。自動車メーカーはエンジンを無制限に供給し、オイルメジャーはまさしく湯水のようにガソリンを供給した。その結果、F1グランプリにかかる経費は天井知らずの高騰。このあたりからトップチームと下位チームの間にさまざまな差が開き始めた。そして、F1グランプリは次第に、弱者を切り捨てるスポーツに成り下がってきた。
無理があった規則改訂
例えば、年間のエンジン使用基数を制限したせいで、制限内に収められなかったチームはスタートグリッド降格のペナルティを受ける。本来、グリッド降格などというペナルティはあまり意味をなさない。ペナルティというものは、レースでリゲインできない要素を持っていなくてはならない。ゆえに、タイム加算が正当なものだ。しかし、結果が出た後では、タイム加算が意味をなさないとして、次レースのグリッド降格などと引き換える。そもそもその引き換えができるルール自体おかしい。それが、先日なされた「25グリッド降格」などという、荒唐無稽な罰則を与えるようになれば、何をかいわんや、である。
F1グランプリは茶番劇か?
実はこうした不条理に対する怒りを並べたのは、そこに観客目線を忘れているからだ。25グリッド降格して、なおレースに出られる理由も、ルール違反でありながら抜け道を使ってエンジン開発を続けられる滑稽も、観客にしてみれば何の意味も持たない。それどころか、ルール違反を裏技で正当化されることを前提にしたルールがはびこるF1グランプリを見て、観客は何と思うだろう? もっと観客がひと目で分かるルールをもったイベントにしてほしい。そうでなければ「F1グランプリは茶番劇か?」と誰もが思うことになる。F1グランプリがそれでいいはずはない。
『AUTOSPORTweb』
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