横浜高・渡辺監督が伝えた言葉の意味 教え子に深く刻まれた人としての教え

ベースボール・タイムズ

私生活の乱れが野球の乱れ

今夏限りで勇退する渡辺監督。その言葉、指導は多くのプロ選手たちの胸に今もなお残っている 【写真は共同】

 名門・横浜高にとって、今年の夏は特別だ。1968年の監督就任以降、半世紀近くにわたって野球部の指導に携わり、監督として春夏通算27度の甲子園出場で歴代3位の甲子園通算51勝を挙げ、春夏計5度の甲子園優勝に導いた名将・渡辺元智監督が、この夏を最後に勇退する。
 コーチを経て母校の監督に就任した渡辺氏が、横浜高を初の甲子園に導いたのが73年の春。いきなり初出場初優勝を飾ると、その後も魅力的なチームを作り上げ、80年夏、98年春、98年夏、2006年春と全国制覇を成し遂げた。その中でも特に、怪物・松坂大輔(現福岡ソフトバンク)を擁して春夏連覇を達成した98年の激闘は、ファンの記憶に色濃く残っていることだろう。

 その98年のチームで主軸を担い、現在は横浜DeNAの代打の切り札として活躍する後藤武敏は、「私生活に厳しい監督でした」と恩師・渡辺監督の教えを懐かしく振り返る。

「『私生活の乱れが野球の乱れ』という考えでした。朝の掃除をしてなかったとか、与えられたものはきちんと食べるとか、『当たり前のことを当たり前にこなせないと野球なんてできるか!』って。渡辺監督から学んだことは、『決しておごらない』ってこと。選抜で優勝して帰ってきた時も、『高い山に登ったら必ず下山する。いつも足元を見つめてやらないといけない。下山するのを失敗したら命取りになる。だから下山の仕方を間違うな!』、そして『下山したら、また足元を見つめて高い山に挑戦しよう』『一度下りなかったら高い山には挑戦できない』と口酸っぱく言われました。その言葉は今でもすごく頭の中に残っています」

後藤の心に刻まれたPL戦での言葉

 現在でも伝説的に語られる98年の夏。後藤にとっては、腰の痛みもあって決して順風満帆な大会ではなかった。そして、渡辺監督との間で「最も覚えているエピソードは?」との問いに、夏の甲子園での準々決勝・PL学園高戦での“縁切り宣言”を挙げる。

「僕自身としてはそういうつもりはなかったのですが、監督の目から見たら僕が審判のストライク判定でふてくされて、バッターボックスの砂を蹴り上げたように見えたようです。そうしたところ甲子園のベンチで、『俺は3年間そういう教育をしたつもりはない。お前がそう態度を示すならお前とはもう縁を切る』って言われまして……。(打てなくて)むしゃくしゃしていたのは確かだから、無意識に態度に出ちゃっていたのかもしれないけど、監督からああいう形相で言われたのは初めてでしたね」

 延長17回までもつれた一戦に「3番・ファースト」で出場した後藤だったが、激闘が展開された中で自身は7打数無安打と精彩を欠いた。普通なら“打てないこと”に対して矛先が向いてもおかしくないが、渡辺監督は“人として”の教えを貫く。勝つか負けるかで大きく運命が変わる甲子園の試合中でさえ、その教示は変わらなかった。

「試合が終わってから監督室に謝りに行きました。あの時は初めて涙しましたね……。でも、そこでしっかりとフォローしてもらえて救われて、次の日(準決勝・明徳義塾戦)は同点タイムリーを打てた。あらためて大事なことを気付かせてくれました」

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著者プロフィール

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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