湘南にとって不可欠な三村ロンド<後編> Jを支えるプロフェッショナル 第1回

隈元大吾

4年間鳥取でメインナビゲーターを経験

湘南のスタジアムナビゲーターを務めるロンドは、鳥取でのメインナビゲーターも4年間経験した 【写真提供:湘南ベルマーレ】

 初めて目にしたとりぎんバードスタジアム(ガイナーレ鳥取のホームスタジアム)の光景は、Jリーグを戦う湘南ベルマーレで見慣れた景色とはまったく異なっていた。サッカー専用スタジアムという恵まれた環境ながら、平均入場者数は当初2000人に満たず、ゴール裏には20人も集まっていない。

「正直、あぜんとしました」と、ロンドは振り返る。

「まずはゴール裏を集めなければいけないと思い、声を掛けて応援練習を行なった。最終的に50人を超えるぐらいに増え、試合にも勝ってすごく盛り上がりました。いつかここをいっぱいにしましょうと、サポーターさんに話したことを覚えています」

 湘南の仕事を継続しながら鳥取のスタジアムナビゲーターを引き受けたロンドは、ホームゲームのたび、東京から通った。人員はかけられないため、スピーカーを設置するところから機材の操作も喋りもすべて一人で担った。コンパクトなスタジアムの特性を生かし、試合前にはゴール裏へと走って、スタンドの真ん中でマイク片手に選手紹介を行なった。取り組む姿勢は湘南でのそれと変わらず、知らないことがあってはならないと、アウェーゲームにもすべて足を運んだ。

いつしか抱いたチーム愛

 湘南との二足のわらじは鳥取がJ2昇格を決める2010年まで続いた。両者が同じステージで戦うことになった翌年は、鳥取でメインのスタジアムナビゲーターを続けるのか、湘南に戻るのか、決断を迫られた。「すごく悩みました」と、当時の複雑な心境を否定しない。最終的に湘南を選んだ背景には、ロンドなりの考えもあった。

「やっぱりベルマーレが好きだし、僕はその愛情を取りました。もちろんガイナーレに対する愛もあります。ただ、番組に最終回があるように、いずれ離れなければいけないと思っていたし、鳥取にゆかりのない自分ではなく、いつかは鳥取の人に託したいなという思いがあった。ガイナーレがJに上がるまでと、心のどこかで決めていたんです」

 10年、鳥取のホーム最終戦の試合後、セレモニーもすべて終えた後にゴール裏から「三村ロンド」コールが起こり、サポーターの手書きのメッセージがしたためられた横断幕を贈られた。「まっとうしたんだ」。視界がぼやけるなかでこみ上げてきた感慨は、役者として最後の収録を終え、花束をもらった時に似ていた。

湘南に欠かせない存在に

 二足のわらじを脱ぎ、再び湘南でスタジアムナビゲーターのサポートに専念した11年、東日本大震災が起きた時には、各地のスタジアムDJ・ナビゲーターに声を掛け、スタジアムやラジオ、ネット配信を通じ、被災した地域の方々に声のエールを送る「J.VOICE 声のチカラプロジェクト」を発案した。それまで全国のクラブに足を運び、交流を深めてきたロンドならではだろう、36クラブ、43名の声のプロフェッショナルが集まった。

 湘南を盛り上げるロンドのアイデアは数多い。そんな演出の充実の一方で、ナレーターのキャリアも10年を超え、次第に多忙になってきたことも否めなかった。先行きのことを考えたときにナレーターとして精進しなければいけない時期ではないかとも考えた。もともと求められてスタジアムナビゲーターのサポートに就いたわけではないといういきさつを思っても、自分の役割は潮時ではないかと考えるようになった。

 クラブに胸中を伝えたところ、「会おう」と連絡をくれたのは湘南の大倉智GM(現社長)だった。「ロンドがいままでやってきたことは見てきたつもりだ。これからの10年を考えたときに、ロンドというピースがいなくなるのは考えられない」と、大倉GMは言った。

「見てくれている人は必ずいるんだと、隊員役を演じた時と同様、その時もまた思いました。大倉さんにそこまで言っていただき、『お世話になります』と僕自身も決断した」

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著者プロフィール

湘南ベルマーレを中心に取材・執筆。クラブオフィシャルの刊行物をはじめ、サッカー専門誌や一般誌等に幅広く寄稿。

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