遠藤翼、米国で10番を背負う若き日本人 留学で身に付けたピッチ内外の“打開力”
米国への適応で学んだこと、身に付けたもの
メリーランド大ではトップ下、または右サイドの攻撃的なポジションで起用されることが多い 【University of Maryland】
ストレスを溜める日々が続いたが、両親からの励ましのメールや、時に受ける厳しい指摘から、サポートしてくれる人の存在を強く意識するようになった。「期待に応えないといけないという気持ちから、自分でモチベーションを上げながら、毎試合臨んでいけるようになった」と語る通り、自分に今できることを全力でやらなければならないと考えるようになった。
適応が必要だったのは当然メンタル面だけではない。日本とは異なり縦に速く、自ら積極的に仕掛ける米国のサッカースタイルへの適応も重要だった。日本ではボールを失わないことが優先順位として一番高かったが、米国ではボールを失うリスクを冒してでも点を取りに行くことが求められる。自分に染み付いた意識を変えるには、時間がかかった。
ただ、遠藤は「日本で学べることをやってもこっちに来ている意味がないし、自分に自信を持たないと先を切り開いていけない」と、ここでも持ち前の積極性から新たなスタイルへの適応を見せる。
大学2年生のとき、当時のキャプテンは26試合で20得点、10アシストという結果を残し、リーダーシップを発揮する強烈な“個”を持つFWだった。「そいつがいてこそ決勝に行けた」という彼のシュート率の高さ、常に得点が取れる場所にいるポジショニングに刺激を受けた。そして試合中に監督から1対1の仕掛けや、シュートを打つことを繰り返し求められ続け、成功体験を積み重ねることで自信が芽生えたという。
アカデミーで学んだ技術の高さや判断の早さ、常に意識するよう求められていたポジション取りのうまさに加え、米国で学んだ“個の打開力”を上積みしていく。そうすることでより強く、ステップアップを果たすことに成功したのだ。
「失うものは何もないから、積極的に行く」
元来から積極性を持ち合わせていた遠藤は、日本では得られない環境から受けた刺激と自信により、その個性をより確固たるものとした。
「サッカーの前にコミュニケーション能力が低いとピッチでも影響が出てしまう。チームメートからも信頼されなくなってしまうし、ボールが来ないと何も始まらない。自分は無名っていうことを言い聞かせるじゃないですけれど、海外で失うものは何もないから、自分から積極的に行く。それから自分の能力を伝えられたり、信頼を勝ち取っていけたと思うんです」
MLSのスーパードラフトが行われるのは来年の1月。そして、21歳の遠藤にはリオ五輪出場を目指すU−22日本代表入りの可能性も残されている。本人も「自分の決定力やドリブルの部分では劣らないというか、チームに何かをもたらせる」と、代表への思いを抱く。遠藤は留学で身に付けたピッチ内外の“打開力”を武器に、これからも自分の道を切り開いていく。
取材協力:リードオフ・スポーツ・マーケティング
(取材・文:豊田真大/スポーツナビ)