葉桜・桜桃・桜花賞 ◎ココロノアイ=乗峯栄一の「競馬巴投げ!第95回」

乗峯栄一

太宰治で予想し、太宰治で馬券を買う

[写真1]難解桜花賞は脚質に幅がある関東馬ココロノアイを本命に! 【写真:乗峯栄一】

「春になったら、太宰治で馬券を買おう」と決意したことがある。太宰治で予想し、太宰治で窓口に行き、カネを受け取るときも、馬券破るときも太宰治でやる。

「桜」と聞いたら太宰治を思い出すからなのだが、しかし、よくよく思い直してみるに、太宰治に桜そのものを扱った作品は驚くほどに少ない。散り際とか、はかなさとか、そういうことを連想して、桜と太宰を結びつけるのだが、太宰自身は“桜絵”は気恥ずかしくて書けなかったのでないだろうか。

 太宰治の作品で、ぼくが「桜」を確認できたのは「葉桜」と「桜桃」だけだ。満開の桜を書いた文章はたぶん一つもない。

 15年ほど前、西浦厩舎にマテキという馬がいた。モーツァルトに「魔笛(まてき)」というオペラがあるから、多分そっちからの命名だろうが、ぼくは太宰の短編『葉桜と魔笛』を思い出す。

『葉桜と魔笛』を思い出してマテキの単勝を

[写真2]3戦3勝でフィリーズレビューを勝ったクイーンズリング、関西馬ではこの馬が一番手か 【写真:乗峯栄一】

 重い病気の妹が押入れの中に、恋人から貰った手紙の束を隠していた。葉桜の頃、偶然それを見つけた姉が、こっそり読んでみると、恋人は妹の病気のことを知り「もうぼくたちは別れよう」と薄情なことを書いている。姉は妹の身の上を心配し、その男の筆跡を真似て手紙を書く決意をする。

「ぼくが別れようと言ったのは、ぼくが無能で貧しくて、あなたに対して何もしてあげられないのが辛かったからです。あなたのことを一日たりとも忘れたことはありません。いまも貧しく、あなたに会う勇気はないですが、毎日毎日、あなたの家の塀の外で夕方6時に軍艦マーチの口笛を吹いてあげます」という手紙だ。姉はそれから毎日、男の筆跡を真似て妹宛てに手紙を書き、毎日夕方6時に塀の裏に行って口笛を吹く。

 しかし死を前にした妹は、姉が書いた手紙だと気づく。「姉さん、心配なさらなくていいのよ。押し入れのあの手紙の束を見たんでしょう? あの手紙は、実はわたしが自分で自分宛てに書いたものなの。寂しさをまぎらわすためにね」と静かに微笑む。

 姉は静かに妹を抱きしめる。そのとき、低く、しかし確実に塀の向こうから軍艦マーチの口笛が聞こえてくる。時刻を見るとちょうど6時だ。「神様はいる、きっといる」と姉は呟き、三日後に妹が死んだときにも神に召されたと感謝する。そういう小説だ。

 ぼくはこの『葉桜と魔笛』を思い出して、その未勝利戦でマテキの単勝を勝ったら10倍ぐらいの配当を付けて当たった。それから年が明け、桜の季節になり、葉桜の季節になってもマテキを買い続けたが(このマテキがまた、根が丈夫なのかどうなのか、しょっちゅう出走してくる)二度と当たることはなかった。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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