ソチ2冠の狩野、見据える先は3連覇「障がい者スポーツの迫力を伝えたい」

瀬長あすか

ソチパラリンピックのアルペンスキー男子座位で2冠を達成した狩野亮 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 昨年のソチパラリンピックアルペンスキー男子座位で2個の金メダルを獲得した狩野亮(マルハン)。立位、座位(チェアスキー)、視覚障害と3カテゴリーに分けられるアルペンスキーで、日本代表は座位で6つのメダル(金3つ、銀1つ、銅2つ)を獲得し、そのうちの2つの金メダルを獲得したのが狩野だ。

 閉会式の旗手を含め大活躍を見せた彼にとって、ソチ後の今、変わったものと、変わらないものとは?
 そして、2018年の平昌大会に向けてどのような戦略を思い描いているのか。現在の心境を語ってもらった。

気持ちはすでに平昌へ

バンクーバーに続く連覇を達成したスーパー大回転。すでに3連覇に向けて気持ちは平昌へ向いている 【Getty Images Sport】

――昨年のソチを振り返って、印象に残っていることは?

 真っ先に思い出すのは、気温が高く、雪が緩んでいて、環境が良くなかったことですね。路面が荒れていて、コースの攻略が想像以上に難しかったです。大きくジャンプするポイントも思うようにジャンプができず、対応するのが本当に困難でした。

――そんな中でも競技初日のダウンヒル、2日目のスーパー大回転で金メダルを獲得。得意の高速系2種目できっちり結果を出しました。

 まさかここまで良い結果が出るとは思ってもいませんでした。出来過ぎですね。冷静な気持ちで臨むことができましたし、さまざまなイメージをつくってトレーニングしてきたのが良かったのでしょう。ソチは通常のコースより傾斜がきつい上に、バーンコンディションが良くないことで、他の国の選手たちは戸惑っていましたが、僕自身は落ち着いていましたね。

――フィニッシュラインまでたどり着けない選手も多く、過酷な状況でした。それでも、冷静にレースをコントロールできたのはなぜでしょうか?

 実は、(10年の)バンクーバー大会の後にチェアスキーを大きくカスタマイズし、自分に合ったセッティングをなかなか見つけることができずにいました。3年間ジタバタして、ソチ前にようやく戦える体勢になったんです。だから、どんな状況でも戦える覚悟ができていたのかもしれません。100パーセントのパフォーマンスのうち、60パーセントが技術面で、40パーセントはあらゆる状況を想定してきた準備で埋められました。自分ではそう分析しています。

――バンクーバーではスーパー大回転で金メダルを手にしましたが、金メダリストとしての気持ちに当時との違いはありますか?

 バンクーバーの時は初めて世界一になったわけで、たまたま勝てただけでした。技術もまだまだでしたしね。それは分かっていたのに、表彰式や講演会に呼ばれる機会が増えて知らず知らずのうちに慢心が生まれていたように思います。ですが、今回はそういう浮ついた気持ちはまったくないですね。ソチの金メダルはもう過去のもの。気持ちは平昌に向いています。

障がい者スポーツ団体のモデルに

チェアスキーの男子は鈴木猛史(右)以降の若手が出てきておらず、育成は組織として取り組まないといけない課題でもある 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――ソチ後、もっとも変化したことは何ですか?

 街中で声をかけられるようになりました。ソチの期間中は、日本でどれだけ報道されているか知らなかったのですが、ニュースなどを通して多くの人に見てもらえたんだと帰国後に実感しました。バンクーバーで金メダルを取った時とは比べものにならないくらい。チェアスキーやパラリンピックという言葉を多くの人が認知してくれたんだと思うと、感慨深いですね。

――ソチは、20年東京夏季五輪・パラリンピックが決まってから初めてのパラリンピックでした。

 パラリンピックの普及に一役買えたという意味で、東京に向けて勢いをつけられたかなと思います。夏季と冬季の違いこそありますが、僕たちも一緒に盛り上げていかなければならないですし、20年が決まってからチームメートの就職が決まるなど、冬の僕らにも確実にいい波が来ています。(それに、障がい者スポーツの管轄も文科省になり、取り巻く環境も良くなりつつあります。)アルペンスキー界もさらに競技レベルを上げるために、変わらなければいけません。

――具体的には?

 昨年10月に日本障害者スキー連盟は、組織改革を行いました。国際オリンピック委員会(IOC)名誉委員の猪谷千春氏が会長に就任するなど、大幅な人員入れ替えをし、平昌やその後に向けた強化体制づくり、若手の育成に力を入れていく方針を打ち出しました。

 新たに理事になった片足スキーヤーの三澤拓選手(キッセイ薬品工業)を通じて、僕たち現場の声もどんどん理事会に上げたいと思っています。ほかの障がい者スポーツ団体のモデルになる存在を目指していますし、アスリートとしての自覚がない他団体や選手に対してもシビアに意見を述べていくつもりです。

――次世代の選手育成が課題です。

 アルペンスキーの選手は、1年の半分を海外で過ごすこともあり、資金面や家族の理解を得るのが難しい。だから若い世代が競技を始めにくいのも事実です。とくに、チェアスキーの男子はソチで金メダルを獲得した鈴木猛史選手(駿河台大)以降の若手がおらず、危機的状況です。日本チームは強いとされていますが、組織としてこの課題に取り組まないと、たちまち立ち行かなくなることでしょう。

――平昌には、日本はソチ以上の最強チームで挑むということですが、世界との距離は感じていますか?

 今のレベルが少しずつ上がっていくような状況なら、僕らは平昌でも充分戦っていけると感じています。ですが、どこかの国の若い選手にグッとレベルを引き上げられる可能性もある。そういう局面でも食らいついていけるように、常に技術を磨いていくことが重要です。

1/2ページ

著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント