元ハイネケン社長に学ぶヨガ オランダから来日40年の“冒険”

芸部歩人

【スポーツナビDo】

冒険人生、ヨガとの関わり

オランダから日本への冒険人生、そしてヨガとの関わりを聞いた 【(C)ヨガ・ウィズ・シッツ】

「日本には“冒険”で来たんです」

 そう微笑むシッツ・エンタースさんがオランダから来日してはや40年。ヨーロッパ企業向け日本市場での経営コンサルティング会社を運営し、ハイネケンビールやメントスといった、今ではすっかりおなじみとなった商品を日本に紹介する手助けをしてきた。そんなシッツさんは健康上の理由から40代半ばでヨガを始め、今年伊豆高原にヨガリトリート、断食の道場を開設した。

「昔はそんなにリラックスしていなかったんです。どちらかと言えば結構イライラ、ピリピリしていて」と、擬音も交え流暢な日本語を操るシッツさんに、オランダから日本へ渡った冒険人生、そしてヨガとの関わりを聞いた。

ハイネケン、メントスを日本に橋渡し

あのハイネケンやメントスと日本をつなげたのが、このシッツさんだ 【スポーツナビDo】

 シッツさんはオランダ、そしてアメリカの大学へ留学して経済とビジネスを学んだ後、75年に来日。アントン・ヘーシンクが東京五輪(64年)で金メダルを獲得したことで起こったオランダ国内でのブームに乗り柔道を13歳〜18歳まで、大学時代には空手を学んでいたが、日本へ来たのは「まだそういう発想を持つ人がいなかったから、日本語を覚えてしまえば日本とのビジネスをする専門家になれると思ったんです」といい、早くもビジネス的視点と先見の明があったことをうかがわせる。

 だが、オランダ国内で十分に日本語を学び、用意周到に来日したかと思えばそうではなく、「オランダにはそういう学校がなくて、だからいきなり日本に来て、学校を見つけて日本語を勉強したんです」というから冒険的だ。
 来日当初は午前中は日本語学校へ通い、午後からは学んでいた空手の道場へ通うという毎日。だが、道場での経験を通じ、先輩・後輩であったり日本独自の人間関係を学ぶことができ、社会勉強として後の仕事にも活きる部分が大きかったと語る。

「日本の部活がどんなものかというのがよく分かって(笑)、その後で大手企業との付き合いになった時、みなさんがどういう精神で動いているかというのがよく分かりました。道場での経験で、『押忍』でしたり、何でも『はい』と言えばうまく進むと言いますか(笑)」

 その後、24歳で自身のコンサルティング会社を設立。オランダやヨーロッパの企業が日本へ進出するに際しての手助けを行ってきた。その中で代表的なのが、冒頭にも名前を挙げたハイネケンやメントス。他にもオランダのデニムブランド「ジースター」など多くの会社の日本支社で社長を務めるなど、ビジネスマンとして多忙な日々を送ってきた。

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著者プロフィール

げいぶ・あると。体験系取材を中心に活動し、「2代目スポーツ冒険家」を自称する40代目前ライター。名前は映画『クリフハンガー』の主人公ゲイブ・ウォーカーから

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