アルゼンチンを準Vに導いたアドバイザー 世界に広がる“コンディショニング論”

中田徹

自らを批判的に見返すべき

準々決勝ではディ・マリアも負傷。コーチングスタッフの対応に苦言を呈した 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】

――(リオネル・)メッシのコンディションはどうだったのでしょうか?

 昨季のメッシは、バルセロナでのプレーがあまり良くなかった。代表合宿が始まった時、彼のコンディションは比較的良くなく、強度の高いチーム練習は半分程度に留め、個人トレーニングを増やした。W杯が始まるとグループリーグでは毎試合ゴールを決めたが、後半はややパフォーマンスが下がった。大会後半、知り合いのジャーナリストが2人続けて事故で亡くなった心理的影響もあったかもしれない。今大会の彼は良くやったと思う。

 バルセロナとアルゼンチン代表でのメッシの大きな違い。それはバルセロナでは対戦相手がボールを持った時、メッシは前線に残って歩いている。しかしアルゼンチン代表では一度中盤まで引いてから、そこで歩いていた。その結果、スプリントの本数がバルセロナの時より2倍に増え、1対1の競り合いに行く回数は3倍に増えた。

――世間では「W杯のメッシは守備を免除された」という見方がありました。

 その分析は正しい。しかしバルセロナのメッシに比べれば、今回のメッシはよく守備をした。

――(アンヘル・)ディ・マリアの決勝戦不在は残念でした。

 あれはもったいなかった。準々決勝のベルギー戦でディ・マリアの太ももに相手の膝が入った。その直後、彼はメッシのパスから40メートルのスプリントをした。(ヴァンサン・)コンパニにブロックされたが素晴らしいプレーだった。だが、コーチングスタッフの判断としてはそれで良かったのか。まずはスプリントをする前に、筋肉を回復させないといけなかった。

 アグエロとディ・マリアの負傷は防ぐことができたはず。筋肉系の負傷はほとんどすべて未然に防げるもの。指導者は選手の負傷に関して自らを批判的に見ないといけない。アグエロは3試合目に出るべきではなかった。ディ・マリアは太ももを蹴られたあとすぐにスプリントしてはいけなかった。まずはピッチの外に出て、治療を受けさせるべきだった。自らを厳しく批判的に見返したら、あらゆる負傷の多くは防げたはず。ところがほとんどすべての人が自己批判できない。けがに関しては「ああ、残念」と言うだけ。指導者はもっと自らに厳しくけがと向き合っていかないといけない。

オランダとアルゼンチンの違い

「指導者はもっと自らに厳しくけがと向き合っていかないといけない」と語る。彼が感じたオランダとアルゼンチンの違いとは 【中田徹】

――準決勝で、アルゼンチンはあなたの母国であるオランダを破りました。

 オランダは延長戦で3人目の交代枠を使い切り、もはやコスタリカとのPK戦で活躍した(ティム・)クルルを使えなかった。この瞬間、アルゼンチンベンチは全員「やった」と思った。(アレハンドロ・)サベーラ監督は「このまま0−0で試合を終わらせろ。ボールを全部前に蹴ろ」と指示した。クルルがいないこと、コスタリカ戦でオランダ代表のPKを研究できたこと、この2つの心理的アドバンテージがアルゼンチンにはあった。

 もう一つ、コスタリカ戦で第1キッカーを務めた(ロビン・)ファン・ペルシは、アルゼンチン戦の前から風邪を引いており、90分間プレーできるかどうか疑問符がついていた。つまり延長戦を戦いきるのは不可能で、彼がPKを蹴ることはあり得なかった。それはあらかじめ分かっていたことだが、オランダは第1キッカーを決めておらず、PK戦に入ると混乱した。結局、(ロン・)フラールが蹴って失敗した。オランダ人は「PK戦は運だ」とよくいうが、決して運ではない。事実、(ルイ・)ファン・ハール監督はコスタリカ戦の後は「われわれは完璧な準備をした」と言っていた。しかし、アルゼンチン戦ではなぜか準備してなかった。

――オランダ戦は“フットボール・ブレイニング(関連リンク「新概念の『フットボール・ブレイニング』」参照)”の要素があったわけですね。

 アルゼンチンはちょっとオランダとは違う国。私にとっても非常に学びの機会になった。現地へ行ってみるとトレーニングメソッドや施設が古かった。そこを改善しないといけない。欧州の人間は、南米ではより柔軟性を持って仕事しないといけない。慣れれば問題ないが、それができなければ難しいだろう。私にはとても興味深い環境だった。

 ここオランダではすべてが準備されており、選手たちはとても受け身。常にピッチは素晴らしく、サッカーをする環境に問題はない。しかし、選手の脳は衰える。一方、アルゼンチンではサッカー環境が整備されておらず、サッカー選手はストリートで成長する。アルゼンチンの選手の脳は、こうした良くない状況とうまく付き合って行く方法を探す柔軟性を持っている。彼らはパーフェクトではない環境に慣れているんだ。

 アルゼンチンの選手にとってサッカーは、いい生活をするための手段。家族のためにお金を稼ぐために日々戦わないといけない。オランダではサッカー選手として成功しなくても、いい生活が待っている。この違いはとても大きい。アルゼンチンの選手たちの脳はとても優れていた。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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