リンクに立ち続ける濱田美栄の信念 フィギュアスケート育成の現場から(2)

松原孝臣

本当に好きになってくれたファンは残る

厳しい時期を乗り越え、濱田は関西大学のアリーナに立っている 【積紫乃】

 必死だったからこそ、そのころはしんどいとは思っていなかったかもしれない。ただ、そうした厳しい時期を乗り越え、関西大学のコーチの肩書きも得て、関西大学のアリーナに立っている。

「これだけよい環境で練習できるなんて、とてもいいですよね。すごくうれしいです」

 笑顔を見せた濱田は、続ける。

「(浅田)真央ちゃん、大ちゃん(高橋大輔)たちのおかげで、フィギュアスケートはこうやって発展してきたんですね。発展させてきた選手たちの姿がなくなったら、もしかしたらブームは去るかもしれません。今から本当にフィギュアスケートが問われるんじゃないでしょうか」

 日本におけるフィギュアスケート界の過去と現在を知る濱田だからこその言葉だった。
 では、「本当に問われる」と言う今後を、濱田自身はどう考えているのか。

「『いつも初級』。それを大切にしていきたいと思っています」

 その意味するところをこう明かした。

「フィギュアスケートの現在はすごくうれしいことですけれど、だから私は『フィギュアスケートって何ですか』と言われていたことを忘れないでおこう、『くるくる回るのがフィギュアスケートです』と説明しなければいけなかったときの気持ちを忘れないでいようと思っているんですね。

 私たちの立場というのは偉くなるものでもないし、偉くなろうとも思っていないんです。教えて育てて、育て上げたらまた初級から教えて、と繰り返してきて今があります。ブームは去ったとしても、本当に良いものは残っていくし、本当に好きになってくれたファンは残るじゃないですか。そのためにも私は、今までの姿勢と変わらず一生懸命教えていきたい。だから初級から、と思っているんです。どんな選手であっても、必ず1回転から始まるように」

周囲に感謝できる、人のせいにしない選手は伸びる

スケートカナダで3位に入った宮原知子(右)。「スケートが大好きな選手」と濱田は語る 【写真:ロイター/アフロ】

 自分のスタンスが変わることはない。そう濱田は言う。選手を育てたい、その一心で選手たちを見守ってきた。
 たくさんの選手と接する中で、実感したこともある。

「競技環境に恵まれていたら選手は育つかと言ったら、決してそんなことはないと思います。むしろ大切なのは、周囲に感謝できる、人のせいにしない選手。伸びる子はね、自分に足りないものを自分で見つけるし反省もするから、悪口も少ないんですね。これまで見てきた子でも、伸びる子はそういう選手でした」

 濱田が指導している宮原知子(関大中・高スケート部)もその1人だ。

「本当に素直なんですね。感謝も知っていて、だから、ここまで少しずつ、着実に進んでくることができたんだと思っています」

 宮原は、自身にとって今季グランプリシリーズ初戦となるスケートカナダで3位。グランプリ初の表彰台で、笑顔を見せた。成績もさることながら、その滑りもまた、濱田の「少しずつ、着実に進んで」という言葉を裏付けているようだった。

「彼女はスケートが大好きな選手で。そう、やっぱり好きだ、というのがいちばん大きいですね」

 宮原について続けたあと、思い当たったかのように、こう語った。

「私も、とにかく教えるのが好きでやっているだけです。貸し靴の子、初級の子を教えるのも、大きな試合に行くときのどきどきも、どちらも同じように好きなんです。教えている者が好きじゃなかったら、選手もスケートを好きになりませんよね。そして、真面目に、誠実に教えるということをしていれば、必ず道は拓けると思っています」

 リンクに立ち続け、これからも立ち続けようという濱田の信念だった。

(第3回に続く/文中敬称略)

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に執筆を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)など。7月に『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)を刊行。

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