藤井秀悟、戦力外で気づいた勝負への執着 最多勝左腕の意地「オレは投げられる」
戦力外通告……それでも冷静
今オフ、DeNAから戦力外通告を受けた藤井。9日に行われるトライアウトでは「オレはまだ投げられる」ことをアピールする 【写真は共同】
「来年の契約はないって言われて、『あー、なるほど』という気持ちだったかな。まあでも、これで引退とは思えなかった。すぐに、トライアウトを受けようと思った。プロでこれだけ長くプレーして、4球団を渡り歩いてきたんだから、オレの能力なんてみんなが分かっている。トライアウトを受けるのは、“オレはまだ投げられる”ということをアピールする、そんな意地もある」
藤井秀悟、37歳。1999年、早稲田大学から逆指名でヤクルトへ入団。2年目の2001年は14勝を挙げ最多勝、ベストナインを獲得、日本一も経験した。その後は北海道日本ハム、巨人を経て、12年、FA宣言をした村田修一の人的補償として横浜DeNAベイスターズに入団。13年には開幕投手も務めるなど、通算83勝81敗、プロ野球の世界で15年間を駆け抜けてきた。
「オレは運が強いだけ。最多勝は古田(敦也)さんのおかげだし、ここまでやってこられたのは周りのメンバーに恵まれていたからだと思う。運とコントロール。ちゃんとボールをコントロールすれば、後はなるようになる」
野球は好きではない、でも勝負に勝ちたい
身長175センチという、プロ野球選手としては決して大きくない体。140キロに満たない平均球速。代名詞となる決め球も、ない。そんな中で15年もプレーし続けるのは、決して簡単ではなかったはずだ。
「速いボールも、すごい変化球も、オレにはない。あるのは、“左投手”ってことぐらい。だから、持っているボールの精度を上げるしか生きていく道がなかった。その都度その都度工夫して、目指したのは“平均点の高いピッチャー”。あとはさっきも言ったけど、“運”だよね」
藤井は冷静に、淡々と言葉を紡いでいく。
プロ野球における自分の立ち位置はどこで、自分の需要がどれくらいあって、その中で自分はどのくらいやれるのか、的確な分析は全て的を射ているように感じた。そんな藤井の口から発せられる言葉は、感情が読み取りづらい。これが15年間現実と向き合い続けた男の思考回路だろうか。
もともと藤井は好きで野球を始めたわけではない。小学校2年生の時に父親の希望で始めたものの、小学校卒業時にはやめた。中学校1年生の秋になって、またしてもやらされる形で始めた野球。地元の進学校である今治西高校へ一般受験をして合格後は、「区切りのいいところで野球をやめよう」としたがやめられず。やめられないまま続けているうちに、プロ注目選手にまでなっていた。
「節目節目で何度もやめるって言ってきた。今でもそうだけど、野球が好きだっていう感覚を持ったことはない。ただ、“勝負に勝つ”ということに関してはかなりこだわってやってきた」
普通、プロ野球選手の幼少期は、野球が好きで好きでたまらないといった野球小僧が多い。そんな中で藤井の幼少期は異色と言える。常に自分を客観視し、冷静な思考ができるのは、こういった過去があるからだろう。