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挫折を経て強くなる本田圭佑のメンタル
どんな苦境も力に変えて走り続ける

かつての指揮官も絶賛するメンタリティー

優勝を目指しながら、W杯はグループリーグ敗退。しかし本田はその屈辱を糧に、再び輝きを放っている
優勝を目指しながら、W杯はグループリーグ敗退。しかし本田はその屈辱を糧に、再び輝きを放っている【写真:ロイター/アフロ】

「自分が言ったことに対しての責任もありますし……。とにかくこれが現実なんでね。非常にみじめですけど、すべてを受け入れて、また明日から進んでいかないといけない。僕が言うことには当然ながら信用も下がるけど、この悔しさを生かすしかないのかな。自分にはサッカーしかないし、自分らしくやっていくしかやり方を知らないし……。また前を向いて、進んでいきたいなと思います」


 ワールドカップ(W杯)優勝という大目標をぶち上げ、アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表4年間を先陣切って戦ってきた本田圭佑。だが2014年6月、ブラジルの地で突きつけられた現実は無残なものだった。コロンビアに1−4の惨敗を喫した後、彼は強気の発言を繰り返してきた責任を口にしつつ、原点に戻って再出発することを誓った。


 ベースキャンプ地・イトゥから帰国せずに姿を消したこともあって、日本国内での本田に対する批判的な目線は少なからずあった。本人が公式ホームページで(1)経験不足、(2)身体能力の向上、(3)強みの最大化、という3つの課題を挙げたことに対しても、どこまでやれるのかという懐疑的な見方は根強かった。


 しかしW杯から2カ月後の8月末、ACミランで2シーズン目を迎えた彼は不死鳥のようによみがえっていた。フィリッポ・インザーギ新監督のもと4−3−3の右FWとして起用された彼は、昨季の停滞感がうそのようにすさまじいゴールラッシュを披露。第9節までの段階で早くも6点を奪っている。フェルナンド・トーレスやジェレミ・メネス、ステファン・エル・シャーラウィら前線のアタッカー陣との連係が向上し、ゴール前に飛び出す回数も格段に増えた。


「北京五輪の頃、圭佑を4−4−2の右サイドで使ったことがある。圭佑はそんなにスピードがある選手じゃないから、中村俊輔みたいに外からチーム全体を広角で見渡した方が勝負できるなと。そういう経験も多少なりとも今に生きているのかな。欧州へ行けば結果を追い求めることが何よりも大事になる。点を取りたければFKを巡ってケンカするのも当たり前。そういう環境でもまれたから精神的により一層、強くなった。圭佑はリバウンドメンタリティー(逆境を跳ね除ける力)っていうのはすさまじいものがあるよ」と北京五輪代表を率いた反町康治監督(現松本山雅)も、かつてない屈辱を味わったブラジルでの出来事から瞬く間に立ち直った本田の心の強さに舌を巻いていた。

本田を強くした家庭環境と挫折経験

家長(右)らとともに過ごしたG大阪の下部組織では、ユースに昇格できず。この挫折経験が本田を強くした(写真は2011年の試合)
家長(右)らとともに過ごしたG大阪の下部組織では、ユースに昇格できず。この挫折経験が本田を強くした(写真は2011年の試合)【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 その原点は、やはり大阪・摂津で育った子ども時代にあるのだろう。本田は常に競争意識を煽ってくれた父、祖父、そして兄の存在がいかに大きかったかを語ったことがある。


「親父にはキリがないくらい、いろいろなことを言われたけど、『一番になれ』っていうのは重要なキーワードの1つです。『お前が休んでいる間にブラジルでは練習しているぞ』と言われたこともあるくらい。たまに試合を見に来ると『お前の試合なんか、全く見れへん』と容赦なく突き放されました。本田家っていうのはとてつもない一家で、厳しいのは親父だけじゃなかった。おじいちゃんにも『お前なんか絶対一流になられへん』『甘い』と繰り返し言われた。僕は小さい頃から家族に認められたい一心だった。毎日『見返してやる』って思ってましたから。兄貴にも絶対負けたくなかった。2人で延々1対1をやるんやけど、俺の方が体が小さいんで工夫しないと勝てない。知恵やアイデアを絞りましたね。兄貴は同世代では間違いなく優れていたけど、俺はそれに勝つつもりでやってた。間違いなく、すごい負けず嫌いでしたよね」と本人は苦笑していた。


 天才と称された家長昭博(現大宮アルディージャ)らとともに中学時代を過ごしたガンバ大阪ジュニアユースでの過酷なサバイバルも、負けじ魂を助長した。当時指導した鴨川幸司監督(現G大阪ジュニアユース監督)も「ウチの練習が終わった後、連絡事項があって夜遅く電話したら、おばあちゃんが『圭佑は公園にボール蹴りに行ってるわ』と言うんです。それも毎日だという。あいつの根性がよく伝わってきました」と述懐したことがある。それだけ努力を重ねながらユースに昇格できなかったのだから悔しさはひとしおだったはず。この挫折経験が本田を強く逞しい男にしたのである。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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